『テリー・フォックス』って人をご存知ですか? by ケートリン・グリフィス(2011年11月)

機会があれば「テリー・フォックスって誰?」とカナダ人に聞いてみると、特に子供なら、このような返事がくるのでは。

「私たちのヒーロー!」

テリー・フォックスは30年余り前、まだ22歳だった時この世を去った。死因はガン。

なぜ彼は「ヒーロー」なのか?大抵のカナダ人だとこう答えることだろう。

「ガンで片足をなくしても夢に向かって走り続けた偉大な人!」

テリーは18歳のとき骨のガンで右足を切断し長期入院。そしてリハビリ時に自分と同じくガンと闘っている多くの人々を目にし「ガンで苦しんでいる人たちのために自分は何かをしたい」と思い立った。

テリーの夢はカナダの人にガン医療の現状を知ってもらうこと。そして、カナダ人ひとりひとりから1ドルをガン治療のために寄付してもらうこと。その目標を達成するため、カナダの東から西までの大陸横断マラソンを計画した。42キロフルマラソンの距離を毎日走り続ける。義足で。

1980年の4月、彼はカナダ東先端の街、セイント・ジョンからスタートを切った。右足切断からわずか3年。まだ21歳の青年だった彼は、毎日フルマラソンを走り続けながらガン治療のための募金を呼びかけた。

最初は無名のランナーだった彼も次第にニュースなどで報道され、除々に彼の目標がカナダ全土に知れ渡るようになった。

「Marathon of Hope」 (希望のマラソン)

テリーがトロントを駆け抜けたのは31年前の7月。

31年前の夏休みを私はトロントの祖母の家で過ごしていた。幼かった私だが、今でもテレビで片足ランナーのニュースが報道されていたのを覚えている。でも、本当に強く残っている記憶はテリーのことよりも、テリーをみて感動していた最愛の祖母のこと。テリーのニュースを片端から集め、そして友達と語りあっていた祖母。その夏の話題はテリーで持ち切りだった。

当時幼かった私は知らなかったが、テリーの応援をしていた夏、祖母はすでにガンの病で身体が弱りはじめていた。そして3年後に亡くなった。

ガン患者に希望と勇気を与えてくれたテリー。
ガン治療やガン病の現状をカナダ全国に伝えてくれたテリー。

1980年9月、走り始めて4ヶ月、ガンが肺にまで転移し入院を余儀なくされた。
スタートから5372キロ。募金額1000万ドル以上。(目標額は100万ドルだった)
入院してから約半年後の1981年6月、彼はこの世を去った。

「ガンの苦しみは消えなくてはならない」、そう言ったテリー。

カナダの学校は9月が新学期。小学生の9月の体育授業はテリー・フォックスからはじまる。そして9月下旬(今年は23日に行なわれた)には、全国の学校を上げてテリー・フォックス・ランが開催される。全生徒がガン治療募金を集め、運動場を駆け回る。

寄付は一人一ドルでもいい。ちりも積もれば山となる。

「確固たる目標さえあれば出来るんだ」ということをテリーは私たちに教えてくれた。
夢を実現できる力は自分自身にある。そう伝えてくれたテリー。

31年前に祖母が感激しガン患者として勇気付けられたように、今日の子供たちもテリーの行動とメッセージに影響され、夢に立ち向かえる勇気をもらっている。

テリーが亡くなって30年、彼の人気は全く衰えていない。それほど彼はカナダ全土に強いインパクトを与えた。

彼はヒーローなのです。

コメントを残す