英語帝国の異端児、カナダ

最近、日本の出版物で時々見る言説に「大切な日本語と日本の文化を守るために、日本人は英語学習を今より控えるべきだ」というものがある。

そうでしょうか。

「英語帝国」という言葉をご存知の読者もいらっしゃるだろう。世界にあまたあるそれぞれにすばらしい言語の中で、英語だけが強大な権力をもってしまった不均衡を告発する比ゆ表現であり、もちろんそんな帝国は実在しない。

「アメリカやイギリスの教育課程に日本語があるわけじゃない。なのに、私たち日本人が貴重な10代の何百時間もを使って英語を勉強し、かつ一生涯「英語ができなきゃ」というプレッシャーに晒されるのは不公平じゃないか」。「英語帝国」という言葉には、そんな不満や不安が反映されているようだ。

確かに元を正せば、英語はヨーロッパの小さな島国で使われていた言語に過ぎず、世界共通語としてふさわしくない性質もある。その後、世界でこんなに力を持ったのは、イギリスやアメリカの軍事力や経済力が主な理由であり、これら強い国の政治的策略もあったことだろう。

しかし、カナダという英仏両国語を公用語とし、世界中から移民が集まる国にある世界有数のマルチカルチャーな町トロントの中華街とインド人街の近くにドイツ人の夫と住み、韓国人街で働いている私は、あらゆる言語の組み合わせで、複数の言語を頭の中で仲良く両立させている人たちと、毎日のように話す。その中には、語学の才能が必ずしも豊かでなさそうな人も、大学などの高等教育を受けていない人もたくさんいる。そのため、私には、さまざまな言語という人類にとって貴重な文化遺産をそれぞれの民族が大切に引き継ぎながら、かつ英語という共通語を持つことは可能だと信じることができる。

それは、私たち日本人にとっては、日本語を大切にしつつ、かつノンネイティブとしての英語力を自分の仕事や生活に有利になるように磨き、利用するということだ。

英語の力を振りかざすのではなく、英仏二つの公用語を持ち、多文化主義を英語圏の中で率先して1970年代に採用したカナダは「英語帝国の異端児」なのかもしれない。しかし、日本の将来の言語政策のあり方のひとつを示している可能性が高いのではないか。

世界が英語の洪水に呑まれる中、日本文化を守るには、日本人が英語を学ぶ時間を減らすより、英語を学んで日本文化を英語で紹介することの方が大切ではないか。一部の超インテリしか海外に行かなかった明治時代ならともかく、今は多くの日本人が実際に外国に出て、商談し、その後に接待し、仕事や子育てし、生活をしているし、日本にいてもインターネットを使っているので、草の根レベルで日本のことを国際的に伝える機会がごろごろある。

海外で和食がブームになって久しく、徐々にその質が上がり、今ではフレンチ並みの格を得て世界で定着した観があるのも、在外日本人や英語による発信者が小まめに日本文化を紹介してきたことの寄与が大きいのではないだろうか。

日本文化を世界に広めるには、草の根の文化交流が大切。皆さんもぜひ、英語を学び、日本の文化について英語で発信してください。

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