南米の小国 エクアドル by サンダース宮松敬子 (2012年4月)
3月半ばから一ヶ月の予定で、南米エクアドルの旅に出ている。なぜエクアドルかは長い話しになるのだが、かいつまめば、去年の夏トロントの我がコンド(日本のマンション)のちょっとした壁のトラブルを直しに来てくれたコントラクターが、この国と深い縁があって「いい国だよ!」を連発。私と夫に取ってはそれまで全く未知の国だったのだが、すっかりその虜になってしまったという、極めてシンプルな理由が発端だった。
彼はポーランドからの移住者で、自国では小児科医だったという。だが彼カナダに来たころは、医学校に入りなおす以外は開業など遠い夢であったため(今は多少違っているようだが)、家族を養うために手っ取り早く日銭の入る建築関係の仕事に就いた、と言う。
ところが、人の一生には予測できないことが多々起こるもので、このコントラクターは子供に手が掛らなくなった頃から徐々に妻との仲がギグシャク。失意のうちに別れたが、人生とは異なもの乙なもの。その後出会ったのがエクアドル人の女医さんだったのだ。そのため南米の小国エクアドルが彼の第3の故郷になったと言うわけだ。
以来、夏の気候のいい時にはトロントで建築関係の仕事をして稼ぎ、冬の寒い時にエクアドルにエスケープするというライフスタイルを取るようになった。「何しろ、人が親切で、物価が安いんだ!」と、まるで天国のように吹聴するので「へーっ、では私たちも行って見るか」と相成ったのである。
当国の雨季は、11月頃から始まって4月一杯まで続くということで、訪れている今はまだ雨の多い季節。朝夕は涼しいながら、日中は汗ばむほどの陽気になり、午後にかなりのシャワーがあるといったパターンである。この日常を知ってしまえば全く問題はなく、何とも気持ちの良い快適な日々である。しかし、今冬のトロントが雪の少なさの記録を更新したように、「この頃の天気は予想するのが全く難しい」と土地の人は言う。
陳腐な言い方だが、本当に「百聞は一見にしかず」である。だからこそ新たな場所への旅というのは楽しいのだが、いろいろな国をかなり廻った私たち夫婦も、来てみればコントラクターからの耳学問だけの時と違って、その文化的、社会的、政治的、歴史的状況は、知るほどに興味が尽きない。
だが、私が未知の国や街を訪れていつも興味を引かれるのは、そこに住む市井の人々の表情やふとした仕草、日常生活が垣間見られる街の様子、空気の臭いや匂いである。その国特有の食べ物や売られている品々の中に、ちょっと想像力を必要とするものなどを発見するとこよなく心が躍る。
そして言葉は通じなくても(ここはスペイン語)、珍しいお店などを見ると勝手に奥に入って、ジェスチャーを伴って見よう見まねで、まるで問題なく会話をしたかのように土地の人と交流してしまう。
例えばブラックスミスの店、民芸品を売る店(ここでは特にインディオの人々向けの衣装店)、パナマハットを造る工場(余談だがパナマハットはエクアドルが発祥地)、一人でこつこつと手造りしている靴屋さん、この国の代表的な産業の一つであるバラ栽培にちなんで、その形をしたモチーフの壁掛けや、オーナメントを作るアーティストのスタジオ風のお店・・・と言った具合である。私にとってそこに住む人の生活振りを知る以上に面白いことはない。
もちろん由緒のある建物に入れば、歩んできた歴史の流れが垣間見られ、隅々の置物までにも興味は尽きない。95~98%がカトリックという国のため、当然ながら、教会は掃いて捨てるほど(おっと、これは言い過ぎかな?!)そこここに存在する。
私自身は産まれてすぐ幼児洗礼を受けたカトリックながら、13歳にして教会との不協和音を感じて離れたため、今は神の存在は信じるものの無宗教である。
だが、旅人として多くの教会に足を踏み入れ、また日曜日には出来るだけ違った教会のミサに久し振りに与ってみた。ラテンというお国柄なのかもしれないが、子供のとき日曜ごとに教会通いをしていた頃のミサの進行具合とは全く違っていて真に興味が尽きない。何やらゴスペル風なミサもあるのだ。
何はともあれ、多くの教会で見られる祭壇を中心に輝く途方もないギラギラ、ピカピカの金色銀色の装飾品の数々には、何とも落ち着かない思いを感じる。神様はあんなど派手な飾りものに取り巻かれることを望んでいられるのか、と不思議な気持ちで一杯になる。
国民の一ヶ月の最低賃金が$260ドルと言うお国柄。あの装飾品を売ったらどれ程の貧しい人々を助けることが出来るだろうか・・・と、つまらぬ計算を試みる。丁度アメリカの大統領選のキャンペーンに使う莫大な資金を、貧者に廻したらアメリカの経済がどれ程助かるかと言うのと同じことだが、一家庭の家計簿のように簡単にはいかない。
そう言えば、泊まるホテルで会うアメリカの旅行者たちの何とぺスミスティックことか!
この国のホテルは、朝食などを一緒に食べることが出来るダイニングルームや、旅行者同士が情報交換できるラウンジがあるのが普通である。
しかしそんな場でちょっと話が深刻になると、アメリカの現況を「先が見えない・・・」と嘆くアメリカ人たちに本当に良く出会う。輝かしい自信のあった(時にはあり過ぎた)アメリカはもうなくなってしまったのかと、一抹の寂しさを覚える。
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