「赤ちゃんは女の子ですよ」、それは死の宣告 by 佐々木掌子    (2012年6月)

さまざまな文化や宗教が共存するカナダは、日本のように移民の受け入れの厳しい国からすると「懐の深い成熟した国」のようにも感じられる。しかしそんなカナダにおいても、受け入れるべきか否か世論が二分する慣習がある。それが“女児堕胎”だ。

トロント大学の産婦人科学教室

かつては日本においても女児は好まれず、口減らしとして捨てられたり売春宿に売られたりすることがあったが、“現代版”は、出生前診断によって性別判断をし、女児だと判明したら中絶をするという、医療技術の伴った選択的堕胎である。

インド本国の女児堕胎は有名な話だ。この要因の一つに、娘の親が婿とその家族に金銭や家財道具を渡す、ダウリーと呼ばれる制度が挙げられる。これは法的に禁止されてはいるものの、急激な経済成長のために層の広がる中産階級において、むしろ拍車がかかってきているらしい。娘が3人いれば破産するとまで言われ、娘を持った親を深く悩ませるものだ。こうした慣習は、カナダに移民することで継承されなくなるかと思いきや、インド人はインド人同士で結婚することが多く、不文律として横行しているという。

中国人の場合は、漢民族の「後継ぎは男」、「親の面倒をみるのは男」という根深い慣習がカナダに移民してもなお男児選好に影響を及ぼしているらしい。

そして、インドと中国を筆頭に、韓国、ベトナム、フィリピンからの移民は、すでに娘が一人いる場合、胎児が女だとわかると中絶するのがごくありふれたことだという。

男女比の歪みについては、今年、Canadian Medical Association Journalがこの問題の特集号を組んだ。自然な男女比は1.05(女性100名に対し男性105名)と言われているが、カナダへの東南アジア移民の第一子性比は1.08、これがすでに二人の娘を持つ中国・韓国・ベトナム人移民の性比となると1.39となり、インド人移民においては1.90に跳ね上がる。

このような現状に対し、この特集号で臨時編集長を務めたDr. Rajendra Kaleは、「アジア系移民はカレーや点心のレシピを持ち込んで来てくれた。だが残念ながら女児殺しの文化まで持ち込んできた」と扇情的な表現をしている。

では、カナダ国民は、このような性別を理由にした堕胎を取り締まるべきだと考えているのだろうか。

社会学者のDr. Angus Reidが率いる世論調査によると、性別を理由にした堕胎に対し、何らかの法律が必要であると6割程度の人たちが考えているという。政党支持別に見ても、保守層で66%、リベラル層で61%と大きな違いがないことも興味深い。

この調査結果の面白いところはもうひとつある。日本には母体保護法による中絶の法的な規制があるが、カナダには中絶に関する法律がない。適用の資格を問われずに中絶が可能なのである。

ところが「中絶に関する何らかの法制化が必要だ」という意見に対しては、カナダ全体で51%の人が賛成していたのである。女児堕胎に関わらず、そもそも中絶の現状に異議を唱える人が半数もいるのだ。まさに中絶は、カナダをあげて二分化される問題のようである。

この中絶一般に対する法制化の賛成割合は、女児堕胎という条件付きの時よりも10〜15%ほど減少しているため、「女性の権利を脅かすような規制が働くことは望まないが、女児を理由に堕胎することについては法制化すべきだと考える層」がいるということだろう。“女性の権利尊重”と“因習的な女性差別”の両方に反応している層だと考えられる(ただし、マニトバ州とサスカチュワン州についてはそのような層は認められない。データの詳細は以下でダウロード可能。http://www.angus-reid.com/wp-content/uploads/2012/01/2012.01.26_Abortion_CAN.pdf

前述の臨時編集長で医師のDr. Rajendra Kaleは、“解決のため、医学的な問題と関連のない限り、妊娠30週まで性別を伝えるべきではない”と述べ、これを産婦人科医らに求めている。カナダは出生前診断の先進国であり、さらに中絶へのアクセスが容易であるため、“女児胎児を間引きたい親の天国”とすら言われる。こうした現状への危惧から彼の言葉は発せられているようだ。

しかしながら、女児を理由にした堕胎を禁止するにせよ、妊娠30週まで産婦人科医が性別を隠すにせよ、“性別”を事由にした場合にのみ特化することには、また別の倫理的問題が生じる。

たとえば、「出生前診断で性別は教えてもらえないがダウン症候群かどうかは教えてもらえる」あるいは、「女児堕胎は法に問われるがダウン症候群児の堕胎であれば法に問われない」となると問題だろう。

ダウン症候群の場合は産む本人が判断をし、女児の場合は医者や法律などまったくの第三者が判断をするのはフェアなのか。性別を理由にする場合のみ、胎児の生存権が尊重されるのはフェアなのか。白人系カナダ人には共感できなくとも、アジア系の親にとっては、女児は堕胎を決意させるほど負担になりうるのである。

カナダはこの多文化共生問題をどう乗り切るのだろうか。

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