映画監督 松井久子インタビュー by サンダース宮松敬子―7年の歳月をかけた 「レオニー」への篤い想い

チャレンジ精神で夢を実現することの大切さ

英訳はこちら。Click her for the English translation of this article.

松井久子監督。映画祭の後のレセプションにて。

トロントの日系文化会館で6月7日から2週間にわたって開催されるToronto Japanese Film Festival(TJFF)では、13本の日本映画が上映される。時代劇、現代ドラマ、コメディ、アニメ、ドキュメンタリーなど日本の映画祭で各賞を受賞した傑作や話題の作品は、いずれも北米では初上映。

中でも唯一、日本人以外の女優が主役を演じる『レオニー』は、女性監督ということもあり注目度の高い作品だ。これは、世界的に名声を博した日米の血を引いた彫刻家、イサム・ノグチ(1904〜1988年、父親は詩人の野口米次郎)の母親、レオニー・ギルモアの物語である。

イサムに関しては、彫刻、絵画、家具調度品まで幅広い作品が世界中に点在し、ドキュメンタリー、映画、書籍などで、彼が100余年前の日本で幼少期の10年を母親と共に過ごしたことは知られている。だがその間に母親レオニーから受けた精神的影響は後の芸術活動の原点となったにも関わらず、今まであまり彼女について語られることはなかった。

今回、その強靭で誇り高い母親にスポットを当て、物語を紡いだのが松井久子監督である。トロントのバラル博子氏の多大な尽力、ジェームス・ヘロン日系文化会館館長の後押しで、6月10日の『レオニー』の上映に合わせ、監督の来加が決定。日本、そして北米に向けてのプモーション準備で多忙な中、お話を伺う機会を得た。

―レオニー・ギルモアという女性を知るきっかけは?

「私は日本各地で自分の映画を上映しトークをするイベントを何度も行なっているんです(注… 1作目『ユキエ』は750回以上、2 作目『折り梅』は1800回以上の上映会)。03年の春に四国の高松市に行った時、地元の女性たちと一緒に牟礼にあるイサム・ノグチ庭園美術館を訪れました。

ここはノグチが晩年に日本で創作活動をしていた時に住んだ場所で、自らデザインした庭園に残されたいくつかの彫刻が、それぞれメッセージを発しているかのように整然と並んでいました。学芸員の方から生前彼が”この庭は僕の母がお世話になった日本の皆さんへの贈り物です“と言っていたと聞き、妙に母」という言葉が耳に残ったのです。見学後、『イサム・ノグチ〜宿命の越境者〜』という書籍を売店で買い、初めてレオニーの存在を知りました。

後世に名を残す芸術家が生まれた背景には母親の多大な影響があったことを知り、この女性を世に広く知らせたいという強い思いに駆られました」

―その後、映画『レオニー』のメガホンを取るまでの経過は?

「映画をコマーシャルベースに乗せるには、ベストセラーの本が原作であるとか、有名な監督や俳優が係わっているなどの条件を必要とします。私の映画はそういうものと関係がないので、周囲からは”尋常な沙汰ではない“と言われました。シナリオ、資金、キャスティングなど、映画作りには同時進行させることが多々あります。この映画も紆余曲折の末、シナリオは14回も書き直しました。

資金面では、私の講演を聞きに来てくれた女性の紹介で知己を得た人が、私利私欲無しに12億円を投資してくれるという縁に恵まれました。また主役の女優選びにも時間がかり、最終的にエミリー・モティマーに決まったのが撮影開始の3か月前。(でも、)彼女とは最初の出会いから感性がピタリと合い、まるでレオニーのために生まれて来たような女優でした。そのような経緯を経て、撮影前に丸6年の歳月が掛かったのです」


―撮影中の苦労は?

「準備期間の苦難と比べたら撮影はとても楽で、苦労を苦労と思いませんでした。現場に立った時、この長い準備期間中に得た”揺るぎない思い“が自分の中にあるのをしっかりと感じました。監督が迷うことなく進めば周りが付いて来てくれ、撮影はスムーズに進みます。今回は特に、エミリーと私の関係が良好だった事が現場の軸になったと思っています」

―では、楽しい思い出は?

「世界の名立たるフィルムメーカーと共に仕事が出来たことです。音楽はアカデミー作曲賞を受賞したポーランド人のヤン・カチュマレク、主演女優はイギリス人のエミリー・モティマー、撮影監督はパリに住む日本人で、仏映画『エディット・ピアフ〜愛の賛歌〜』の撮影をした永田鉄男など。そして多くのアメリカ人のクルーたちや日本の優れた俳優さんやスタッフたち…。世界中に友達が出来たのは嬉しいことです。併せて470人くらいの人が係わってくれました。

日本とアメリカの両国で撮影したので、まるで映画を2本撮ったような気分ですね。私のような無名の監督が作る映画としてはこれはとても贅沢なことです。長い間の試行錯誤はありましたが、願い続ければ夢は実現するということが実感出来ました」

―日本でのプレミアに皇后陛下がご来臨になったそうですね?

「皇后陛下は前作2本をビデオでご覧になって下さっていたのです。そして”女性が映画監督をするのは大変なことでしょうね“とおっしゃったと聞き、そのお言葉をずっと励みにしてきました。『レオニー』のプレミアの時は”よく7年もの長い間頑張りましたね“とのお言葉を何度も頂き、”皇后陛下は全てをお分かり下さっている“と深く感動しました。これは作品を共に作ってくれた人々や、長い間私を応援してくれた人々への何よりのご褒美と受け止めました」(注… 日本には松井氏を応援する「マイレオニー」というグループがある)

―今後の作品の構想は?

「次作を考えるのは時期尚早ですが、また、国境を越えて世界中の人々に観てもらえる映画が作れたらいいなと思っています。最近アメリカの配給会社と契約が成立し、『レオニー』が北米の一般の映画館で上映されることになりました。これはTJFFで上映する日英両語の字幕が入ったものより32分短縮されたもので、現在そのプロモーションなどの準備で忙しいんです」

―TJFFでの『レオニー』上映に向けて、現在の心境を

「私に会って下されば、チャレンジ精神を持つことで”夢を実現することは無理ではない。私にも出来る“と皆さんに思って頂けると思います。トロントでは数年前に『折り梅』を上映した際に温かく迎えて頂き、外国に住む日本人移住者たちのたくましさを肌で感じました。今回もカナダ人を含め、沢山の方たちお会いできるのを楽しみにしております」。

まつい ひさこ
映画監督。1946 年東京生まれ。早稲田大学文学部演劇科卒業。雑誌ライターを経て俳優プロダクションを設立し、俳優のマネージメントを手掛ける。そ
の後、自身の企画会社でプロデューサーとしてドラマ、ドキュメンタリーなどのテレビ番組を制作。映画初監督作品は『ユキエ』。次作『折り梅』は老人介護を描き、公開から2 年で100 万人の観客を動員した。『レオニー』は、2010 年11 月より全国で上映開始。著
書は「ターニングポイント~『折り梅』、『松井久子の生きる力』など。

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