カナダの戦争と女性 by 広瀬直子(2013年3月)
日本で大河ドラマ『八重の桜』が放映中だ。この原稿を書いている3月上旬時点でのドラマの進行状況では、会津藩の武家の娘である山本八重は実家にいて、銃に興味をもって研究したり練習しているだけだ。しかし、ドラマを見続けるとわかるだろうが、この後の八重はたびたび戦争に関わることになる。1868年の戊辰戦争では男装し、銃をもって戦火をくぐる。また晩年には、日露戦争、日清戦争で赤十字の看護師として再び従軍する。
さて、地球を半周し、時代を半世紀ほど遡って、現在のカナダ(当時は英国領)に目をやると、ここにも戦争で活躍した女性がひとりいた。米国と英国が領土を奪い合った1812年の米英戦争でのヒロイン、ローラ・セコードだ。(アメリカから見ると戦争を負けに導いた諜報員)
険しい32キロを歩いて
ローラ・セコードの逸話は、概ね次のように伝えられている。
1813年、米軍がアッパーカナダ(現在のオンタリオ州)への侵攻を再開。セコード家は米軍士官の宿舎に徴用されたのだが、ローラは米軍が英軍を急襲するという米士官たちの作戦を立ち聞きした。
「ロイヤリスト」と呼ばれる英国王党派であった彼女は、何らかの言い訳をつけて家を出、米軍に捕まる危険を冒して、ナイアガラ断崖のある険しい32キロメートルを自分の足で歩き、この作戦を英軍に知らせた。これにより米軍による急襲に英軍は万全の体制を整え、数で圧倒的に勝っていた米軍のほとんどを捕虜にした。
このときのローラの働きがなければ、ナイアガラ半島、いや、もしかするともっと広いカナダの領土が、現在アメリカのものであったかもしれない。
ちなみに、ローラ・セコードの肖像画をあしらったチョコレートは有名で、カナダ土産の名物となっている。
現代のカナダの戦争と女性
ここで現代のカナダに早送りする。アフガニスタンなどの戦地に派遣された兵士らの映像をニュースなどで見ていると、女性がちらほら混じっているのに気づく。
カナダ国防省によると、女性が軍隊で看護師以外の職務に就き始めたのは1914-1918年の第一次世界大戦時で、2,800人の女性が王立カナダ軍医療部隊に所属し、看護にくわえて小型の武器や工具使用、応急処置、車両のメンテナンスに従事した。
1941年には、看護以外の軍務に就く女性が45,000人を超え、機械工、パラシュート修理工、重機の運転といった任務を担った。
近年になってからは、女性が戦闘に直接関わり始めたのは、1987年の「女性の戦闘任務雇用」トライアルという試用からだ。同年、カナダ空軍は、戦闘機のパイロットを含む、すべての軍務を女性にも開放した。1989年には全軍隊が、潜水艦戦闘任務以外のすべての軍務を女性に開放。潜水艦戦闘任務は2000年に女性に開放された。
現在、カナダ統合軍の全人員の約15%、戦闘兵士の約2%が女性。7,900人の女性が軍務に、4,800人がサービス任務に就いている。このうち、225人の女性が正規戦闘軍、925人が予備戦闘軍に在職。
2006年、アフガニスタンでの対タリバン戦の前線でニコラ・ゴッダードさんが殉職した。カナダで初めての女性軍人の殉職であった。
もちろん、カナダ統合軍のほか、政府の情報機関や警察においても女性は進出しており、トロントの街で男性警官と同じ服装、武装の女性警官を見かけることは珍しくない。
ちなみに、日本の防衛省のサイトには「(女性自衛官は)ほとんど、男性と同様の仕事を行います」と書いてある。女性自衛官にインタビューを行っている別のサイト(1)によると「女性自衛官は、全自衛官の約5%(「平成21年度防衛白書」)」。
同サイトによると、「訓練については、やることは同じ」だそうだが、「戦闘機、潜水艦、戦車、… 歩兵など、最前線に立つことになる戦闘職種には女性は就くことができないという前提」とある。
Photos courtesy of the Niagara Parks Commission
(1) リクルート社「R25」http://r25.yahoo.co.jp/fushigi/wxr_detail/?id=20110726-00020890-r25