この国は誰のもの?トロント市『Sanctuary City(聖域都市)』宣言 Part II by 空野優子 (2013年3月)

前回トロント市議会の「聖域都市宣言」について書いたが、今回はその続編として、移民政策のあり方に対する様々な見方を取り上げてみたい。

この宣言によって、トロントは、市内に住む外国人に対して、カナダでの滞在資格の有無に関わらず市のサービスを提供することを正式に決定した。この採択賛成派の多くは「トロントの住民は、働いていたり、家賃や消費税の形で税金を納めているので、滞在資格の有無で差別をするのは正当ではない」と考える。彼らにとっては、非正規移住者は、国の定めるところのカナダで生活する権利は有さないかもしれないが、トロントという地域レベルでは市民として義務を果たして生活しており、その生活の権利は守られるべきといういうのでる。

一方、反対派の典型的な論理は「法律破りは助けるべからず」という考えである。市議会の議決の際、反対三票のうちの一票を投じたデンゼル・ミンナン・ウォン議員は非正規移住者を「ルールに従って法的に移住しようとしている全ての移民に対する冒涜」(記事*)だと言い切った。この考えによると、カナダで生活する権利を誰に与えるかをカナダ人が法律でもって決めるのは当然であり、ルール破りはいかなる法律でも許されず、不法に滞在している人を支援する政策はもってのほかだという。

確かに、現在、日本もカナダも世界中のどの国も外国人の入国に関する決まりを作っているし、そうすることができるのは当然と考えられている。そうでなければ移民政策がまず成り立たない。

一方で、国籍によって入国、滞在資格を法律で制限することができることに疑問を呈する意見も少なくない。

第一に、移民政策は、歴史的に観れば、せいぜい200年ほどの比較的最近の出来事である。(でなければ、北米大陸に何千年前から生活していた先住民を除いて、カナダ人の祖先は不法入国者だらけであろう。白人の入植者は、先住者の事前の許可なく上陸したのだから。)

そして何より、私たち大多数は、自分の住む国での滞在資格を得る努力をすることなく生活しているわけだから、国籍を差別の材料とするのは理にかなわない、と唱える学者もいる(2月27日トロントスター紙の評論参照)。

この論理によると、たとえば、私は日本で日本人の両親に生まれたという理由で日本国籍をもち、日本の制度の恩恵を受けて育ったし、カナダでも(そのような恩恵の結果得ることができた)学歴と職のおかげで特別な努力の必要なく永住資格を得ることができた。

その立場にある私が、言い換えればカナダで非正規滞在となって法律を破る機会さえない私が、他人の滞在資格をとやかくいうのはおかしいというのである。もうお察しかもしれないが、私は基本的にこの考えに賛成である。

全ての入国管理法、移民法を廃止せよとは思わないし、第一そんなことは現実的ではない。ただ、日本でも、カナダでも、一時期住んでいたフランスでも、移民排斥の声を聞くたびに、私はまず違和感を覚える。「(移民は)私たちの職を奪っている」とか「我々の社会制度を悪用している」という意見に対して、なにより先に、その『この国は当然自分たちのもの』という意識はいったいどこから来るの?と思ってしまうのである。読者のみなさん、どうお考えでしょうか。

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