「あいさつ」 by ケートリン・グリフィス (2013年4月)
娘が体験入学で日本の小学校へ通っている。小2だ。娘は娘なりの発見と驚きがあると思うが、それはまた後々彼女から伝えてくれれば、と思っている。これは、取りあえず私の感想である。
ちょっとのんびりとした空気が漂うこの町(自動販売機もコンビニも見当たらない)。娘は近所の子供たちと一緒に学校へ行く。上級生の子がリーダーで、集団登校での通学だ。帰りは一人か友達と帰宅。子供たちへの信頼、自由があって微笑ましい。
通学は、登校を共にする子供たちのあいさつ「おはよう」で始まる。見送りに集合場所に出向く私もみんなに「おはよう」。ここまではさして驚きもなかったが、自転車で通学する中学生が前を通るたびに、私や他の母親に「おはようございます」と必ず声をかけてくる。最初は知り合い?と思っていたが、そうではなく、挨拶をすることがあたり前になっているようだ。
先日、授業参観があった。クラスに向かう廊下や階段でも生徒たちから挨拶の声をかけられた「おはようございます」。知らない大人にでも学校内では挨拶をするように、と教えられているのであろう。授業も挨拶ではじまり、挨拶で終わった。私が覚えているように、「起立、礼、着席」ではなく、座ったままではあったが、当番の人の号令で全員「おねがいします」「ありがとうございました」。とても元気ある挨拶の声。聞いていてとても気持ちがよい。
現在の日本やカナダでは、すべての子供たちが教育を受けることができる。しかし世界的には教育を受けたくても受けられない子供たちがいっぱいいる。教育を受けることの出来る喜びや感謝の念をわれわれは忘れてきているように思う。日本の教育現場でも、いじめ、不登校、体罰など、どこの国の教育現場でもある問題を抱えていると聞く。しかし、元気いっぱいの挨拶を耳にした私はとても平和な気持ちを感じた。あえて、授業前に「おねがいします」と先生への尊敬と感謝をあらわすことにより、当然であると思ってしまう日常にも感謝をしよう、と私は私なりにこの習慣をとても良いように受けとった。実際には、子供たちがどういう思いで挨拶をしているのかわからないが。
学校帰りの小学生から「Hello」や「Bonjour」のあいさつをされる。私がカナダ人だから、カナダの公用語が英語とフランス語であることを知って声をかけてくれているのか、たまたまなのか、どっちにしろ、「こんにちは」と日本語で返事をすると大半が逃げていく。ちょっと不思議で、ちょっと楽しい。彼らは、何も会話を始めるきっかけであいさつをしているのではない。あいさつをしたいからする。これまた気持ちがいい。若葉がきれいな春だから気持ちが高揚しているのか、ちょっとした心遣いのあいさつに感動している毎日である。