スキャンダラスなふたりの市長

自由気ままに言いたい放題!

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トロントのロブ・フォード市長は日本ではあまり知られていない人物だが、大阪の橋下徹市長と共通点が多い。

まず、1969年生まれで年齢が同じである。

ふたりとも保守派の政治家でミリオン都市の市長。政界に入る前はフォード氏はビジネスマン、橋下氏は弁護士として成功していた。

フォード氏もスキャンダルまみれである。最近では、橋下氏が「風俗活用・慰安婦発言問題」で物議を醸す一方(これについては日本語の読者はご存知であろうから割愛する)、フォード氏は5月、本人がクラックコカインを吸引しているビデオが存在すると報道され、大スキャンダルとなった。

結局そのビデオが公に出ることはなく、実存するかどうかも確実でないが、『トロントスター』紙のジャーナリスト2人が「見た」と証言している。この一連の報道で、『グローブ・アンド・メール』紙は、フォード氏の兄がかつてドラッグの売人であったことを始め、フォード家の複数の家族のドラッグ使用スキャンダルを報道した。カナダの国営放送局CBCは、第一側近が ”get help”「あんた(精神医学的な)ヘルプが要るよ」と彼に言って解任されたことを伝えた。

フォード氏も大都市の市長とは信じがたい暴言が多い。たとえば、上記のような報道をしたメディアを、公の場で ”those maggots” 「あの虫けらども」と罵っている。

辞任を求める声は、日本でもカナダでも大きいが、この原稿を書いている7月上旬時点ではまだどちらも市長の座から降りていない。権力が大好きなのか。学生時代は両人ともスポーツ部のキャプテンだったというから、リーダーとして人をコントロールすることへの執着心は、そのころ身につけたのかもしれない。

私は生まれ育ちは京都だが、大阪は学生時代からよく遊びに行っていて、卒業後は働いてもいたから、とても愛着のある都市だ。また20年近く住んでいるトロントも「第2のふるさと」である。愛する町の今の市長がこの二人であることは、私を複雑な気分にさせる。

フォード氏は、ゲイの権利を訴える「プライドパレード」へ参加しないし(今までの市長はフロートに乗って参加してきた)、セクシャルマイノリティを揶揄する発言が報道されている。また、市長になる前には、外国人のトロント移住に反対する旨の発言をしている。私はLBGTの権利は社会が保障するべきだと思っているし、トロントにおいては外国からの移民だ。そして橋下氏の慰安婦発言。私は女性。いずれも、いい気持ちはしない。

私は1968年生まれなので彼らとは同世代だ。四半世紀ほどトロントと関西を行き来してきたので、彼らの育った時代の平和で豊かなトロントと関西を知っている。

そして私たちが大学生だった80~90年代の先進国の若者にとって、国際体験はエリートやヒッピーだけのものではなくなっていた。日本-カナダ間の航空料金は、今の値段と同じぐらいか安かった記憶があるし、テロリズムの心配も今ほどなく、世界はもっと平和だった。

たとえば、日本とカナダやオーストラリアの間には1980年代にワーキング・ホリデー制度ができた。アルバイトで資金調達しながら外国に住むことができるようになって、私も利用した。バックパックを背負ってアジアやヨーロッパを旅行したりもした。友人たちも多くが日本を飛び立ったし、外国から日本に来て滞在したり、アジアを長期間巡ったりしている数々の人に出会った。それは何も特別なことではなかった。

しかし、長期間自国を離れるという経験を、フォード氏も橋下氏もしていないようだ。将来、政治家を志すほど野心いっぱいの青年だった当時のふたりにとって世界を知ることが損になるはずがないのに、なぜ留学したり、世界をめぐったりしなかったのだろうか?

当たり前のことだが、誰もが外国では「外国人」だから「マイノリティー」種になる。マイノリティー種は往々にして社会的弱者だ。このことは彼らの「自尊心」にとって、耐えられないほど恐ろしいことで、意識的にか無意識的にか、避けて通ってきたのではないか。

彼らがバッシングを受けるのは、国際感覚やジェンダー感覚が不足しているのが理由であることが多い。自分がいつも社会的強者でいたいがため、社会の主流にいることしか選んでこなかったことへの代償を払っているように私には見える。

実は、彼らもある意味では「マイノリティー」だ。橋下氏は実父が暴力団組員だっとことと自殺したことがメディアにとりあげられているし(本人はそれを最近まで知らなかったということになっている)、フォード氏は「容姿マイノリティー」だ。超肥満体で赤ら顔。もちろん、肥満体、赤ら顔で魅力的な人はいるが、彼はそうした魅力は乏しい。女性に人気があるとも思えない。

それを思うと同情心が起きないでもないが、大都市を背負うリーダーなら、自分の痛みを優しさに転換するだけの人格を持っていてほしい。

私の勝手な想像はさらに膨らみ、こんなことも考えている。彼らのような人ならプライベートでも、ジェンダー的、国際的に痛くてまずい発言してきたのではないだろうか。そのとき家族や友達は「あなたそれはちょっと女性に失礼よ」とか「将来成功したいんだったら世界の友達を作って国際感覚磨かなきゃ」などと、一度も注意しなかったのだろうか?注意されたけど、やんちゃな少年のようなところが残っているフォード君と橋下君は、聞く耳を持たなかっただけなのか。

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