カナダ人は気をつかわない?by 空野優子 (2013年11月)

英語圏で生活するようになってかれこれ10年になる。留学前は、3か月で英語は聞き取れるようになる、2年あれば完璧、などと聞いていたが、働き始めて5年たった今もまだまだ、、というのが実感である。

ケンジントンマーケット写真

街で見かけたプランター車と壁画。誰が一体、、、??

ただ、時が経つにつれ、語学の上達だけでなく、話し方や、身振り、考え方などで、英語モードの自分ができているのがわかる。これは同じくGroup of Eightの広瀬直子さんが「35歳からの『英語やり直し』勉強法」で述べられている通り、第二言語で生活する人にとって共通の経験のようだ。自分の中の二つの言葉のアイデンティティが、話している言葉と相手によって、自動的に切り替わるようになった。

それでも、英語モードの自分はあくまで日本で育った私の発展である。最近このことを痛感することが多い。

「気をつかう」という感覚がその一例である。

日本人はよく気をつかう。似たような表現で、気が利く、気を回す、気にする、気をもむ、気がひける、気を配るというように、いろいろな形で「気」をつかう。たとえば、今トロントでブームの居酒屋の日本人の店員さんは、座っている客の目線に合わせ、かがんで注文をとってくれるが、このような経験を日本食以外のレストランですることはない。この日本的な周りの人への「気遣い」、ちょっと大げさに言うと、日本では人とのつながりを保つのに大事な役割を果たしているように思う。

ただ、この日本語圏の独特の気のつかい方、英語圏でも役に立つことはあるけれど、相手に通じなくて、単なる気苦労になることも多い。

たとえば、私の場合、

1.相手先の返事の期限が過ぎているために催促の通知をしないといけないとき。
2.私のオフィスに同僚や上司が入ってきて話を始めたとき。

などである。上の例の1のような状況では、日本語では「大変恐縮ですが、、」と断りを入れるのが普通だが、英語では通常このような場面でこちらから謝ることはない。なので私も言葉には表さないのだが、内心自分が無礼なような気がして落ち着かない。2の場合にも、相手が立っていると、なんだか申し訳ない気がして自分も腰を上げてしまう。相手が気にもとめないのがわかっていても、どうしても気になってしまうのである。

つい先日はお酒を口にしない友人と食事に行ったとき、私は無意識にワインを注文し、相手がジュースを頼んでいるのを聞いて、あとから「しまった、私もお酒やめとこっか?」と聞くと、かえって驚いたような反応が返ってきた。そんなことを聞かれたのは初めてだったらしい。

そもそも「気をつかう」という表現にぴったり合う意味の単語は英語にはないように思う。

もちろん、カナダ人と接していると、日本ではあまりみられない相手への思いやりの示し方があることがわかる。自動ドアが日本より圧倒的に少ないトロントでは、入り口のドアを開けるときには後ろを振り返って、後から来る人がいればドアを開けて待つというのが習慣である。人に会ったときに “How are you?”(「元気?」) と聞くのは決まり文句だし、 日本語のありがとうに比べて、“Thank you”と言う頻度も英語のほうが多いように思う。

それでも私の観察では、英語圏の人は、日本語的な「気のつかい方」はしない。

また、この「気をつかう」という感覚は、ほとんど無意識に起こるので、自分が気をつかって損した気分になるだけでなく、英語圏の相手にそれを期待してしまい、イライラしたりストレスになることもある。日本ではフライトが10分遅れるだけで「お急ぎのところまことに恐縮ですが、、、」とアナウンスが流れるが、こっちでは30分経っても「ただいま機体点検中です。」の一言だったりする。そういう時私は、「まぁそらしゃーないわ」と思う英語モードの私と、「もうちょっと気の利かせた対応してくれても・・・」とむっとする私が混在する。

三つ子の魂百までとはよく言ったものである。相手が気にしないとわかっていても、勝手に気をもんであとで自分が損するとわかっていても、それでもやっぱり気をつかってしまう。この英語モードの中の日本的な部分、これはなかなか変わらないように思う。こっちでも評価される気遣いの心を残しつつ、できるとこでは気を抜いてストレスをためない、というのがカナダ生活を楽しむ秘訣の一つかもしれない。

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