台風ハイエン(ヨランダ)被災地訪問記 by 斎藤文栄

打ち上げられた船。東北でも同じような光景がありました。
昨年11月10日にフィリピンを襲った台風ハイエン(地元名はヨランダ)は、レイテ島やサマール島に大きな爪あとを残しました。被害者は1月29日現在で死者6,201人、負傷者28,626人、行方不明者1,785人とのこと。1600万人以上が被災し、そのうち自宅から避難して暮らしている人が400万人もいます。(Republic of Philippines, National Disaster Risk Reduction and Management Councilの報告より)
1月下旬にレイテ島北東部にあるタクロバンという被災地を訪問する機会がありましたので、街の様子をレポートします。
街の一部やホテルでは先月から電気が復旧していますが、依然多くの電柱が倒れたままで市内全体に電気が行き渡るのがいつになるのか全くメドが立っていません。発電機の値段が高騰し通常の400倍もするのでなかなか手に入れることができないとのこと。街の水道管に被害が少なかったため水はなんとか確保できていましたが、まだ水量は少なく十分ではありません。現地でボランティア活動をしている団体の事務所兼住居にお邪魔しましたが、水がチョロチョロとしか出ないので、シャワーを浴びることができないのが大変だとスタッフの女性が語っていました。気温も日中、30度くらいになる中で、水が思うように使えないのはかなり辛いことです。

避難所で水やお米の配給を待つ人々の列
一番被害がひどかった海岸沿いは、まだほとんどの家が全壊・半壊したままで瓦礫も片付けられていません。この地域は、もともと多くが貧困世帯であり、そのため家の構造が脆弱であること(家というより小屋のようなところに住んでいる人が多い)から被害が拡大したそうです。人々は壊れた家にそのまま住み続けているため、また同じような災害が起きたらと思うとゾッとします。街に十分な避難所や仮設住宅がないためにそこにとどまざるを得ないのでしょうか。こんな状況でも子どもたちは外で遊んでおり、笑顔で挨拶をしてくれます。フィリピンの人々の特徴なのでしょうか。少なくとも私の出会った人々に悲壮感はなく、明るくたくましく生きていこうという力強い姿勢が感じられました。
避難所に使われている海沿いにある体育館も訪問しました。台風襲来時、多くの住民がここに避難しましたが、高潮が押し寄せ、水がバスケットゴールの高さにまでのぼり、その中で溺死した人も多かったそうです。普段から災害が多いこの地域でも、台風と高潮が同時に襲来するのは初めてで、そのために犠牲者が多かったといいます。訪問時には、周辺で458世帯、2069人が暮らしていました。2月から、一部の世帯がようやく避難所から仮設住宅に移転し始めるということでした。

建設中の仮設住宅

4人が暮らす仮設住宅の部屋
建設中の仮設住宅の現場にも足を運びました。しかし、とても避難所やテントに住んでいる人たちを全員収容できるほどの規模にはなっていません。部屋は一家族に一つしかなく、しかもその大きさは4畳半。押入れもなく、「こんな狭いところでどうやって暮らしていけというのか」というのが第一印象です。隣との壁も薄くプライバシーはほとんど期待できません。もし東日本大震災のように仮設での暮らしが長くなるようでしたら、このような仮住まいでは到底耐えられなくなるのではと心配です。
ところで、被災地には、国連の潘基文事務総長を初め、私が滞在していた際にはスウェーデン国王が訪問するなど、国際機関や各国の首脳が視察に来ているようです。その中でも、地元の若者からは、やはりジャスティン・ビーバーの訪問が印象的だったという感想を聞きました。彼は災害後1ヶ月ほどで現地に入り、被災者の前で歌ったそうです。最近、飲酒運転や暴行容疑で逮捕され素行の悪さばかりが目立ちますが、案外、その合間に(?)こういうこともしているんだと感心しました。

地元の主産業であるココナッツも大打撃を受け、経済的影響も懸念されます
被災地では課題が山積しており復興にはまだまだ長い時間がかかりそうです。もっとも心配なのは、すでに私たちがニュースで台風ハイエンの被災地の状況を聞くことが少なくなってきたことです。関心も薄れつつある中、今後も支援を継続していく必要性を切に感じて帰って来ました。

空港で会ったご夫婦。「I ‘m a Yolanda Survivor」と書いたオリジナルTシャツを作り近所の人に配って励ましているという。