「ローマ字メッセージが来る時」 by 嘉納もも・ポドルスキー

“Okan…”

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兄弟でも日本に対する気持ちはちがう

長男からこの出だしでメッセージが届くと私はドキッとする。

22歳の長男、18歳の次男はそれぞれアメリカとノヴァスコシアの大学に通っているので長期の休み以外は家にいないが、連絡を取ろうと思えばこの頃のことであるから容易にできる。

長男とのやり取りはおおむね、英語で行われる。彼の好むBBM (Blackberry Messenger)というソフトウェアでは日本語が打てないから、というのが主な理由だが、長男はここ三年ほどとみに自分の日本人としてのルーツを「軽視」する傾向にある。

と、ここまで書いて我が家の事情を少し説明した方が良いことに気付いた。

私は1987年にトロント大学の博士課程に留学するためカナダに来て、その翌年にはカナダ人と結婚してこちらに定住することになった。それから26年以上が経っているわけだが、途中、一家で日本に5年間住んだ時期がある。長男は9歳から14歳になるまで、次男は5歳から11歳になるまでを日本で過ごしているのだ。

二人ともインターナショナルスクールに通ったため学校教育は一貫して英語で受けたが、日本に住んでいる間に彼らの日本語力は当然、飛躍的に向上した。カナダに再び戻って来る頃には、日常生活では何の不自由もなく日本語を操るようになっていたと思う。

しかし日本を離れたあと、息子たちの辿った道は見事なほどに正反対だった。

長男はカナダでホッケーをしたいがために戻ったようなものだから、どっぷりとこちらの生活に浸った。彼にとって日本は母親の母国、その地にはいっとき住んだというだけでそれ以上の愛着はないらしい。しばらくは連絡を取っていた日本の友人たちともやがて音信不通になり、今となってはオバアチャンに会いに行くか、本場の日本食を食べるため以外に日本へ行く理由は見当たらないと言う。挙句の果ては、聞かれない限り自分から日本人の血が入っていることは言わない、「俺は日本人なんかじゃないから」と言ってのけるのである。

一方、次男は兄貴の都合でカナダに連れ戻されたとずっと思っている。自分は日本を離れたくなかったので、年月とともに思慕は募るばかり。少なくとも一年に一回は日本に帰りたいし、将来も何とかして日本で暮らしたいと思っているそうだ。カナダに生活の本拠地を移してから8年目を迎えるが、その間も次男は日本語の保持に自らこだわった。今では浅田次郎や宮部みゆきの小説を普通に読み、最新の日本の音楽情報をインターネットで仕入れ、日本の友人とも連絡を取り続けている。最近ではカナダに居る方が違和感がある、とさえ思っているふしがある。

なので次男からメールが来る時はいつも日本語、これはまあ当然と言えよう。

ところが、である。

長男は時として、いきなり私に日本語でメールを寄越すのである。正確に言うと「ローマ字」だが、冒頭にも書いたように

“Okan…”

で始まるメールが来ると、私は彼が本当に困っているか、悩んでいるのだと察知することを学んだ。

(ちなみに私は実家が神戸なので、関西弁である。主人と息子たちと住んだのも神戸なので、彼らも関西弁をおぼえた。したがって英語で私のことを呼ぶ時は「Mom」だが、日本語では「おかん」になる。)

長男がローマ字日本語で私に何かを訴えてくるのは、たいてい人間関係がうまく行っていない時である。彼女とケンカした、監督とそりが合わない、となると突然、”Meccha haratatsu nenkedo”や、 “Sonnan okashii yaro” といった文字が携帯電話のスクリーンに並ぶ。

そこではたと気が付いたのだが、通常、人は感情を表すとき、自分のもっとも親しみのある言語を使うものだというのが定説ではないだろうか。大学の進路を相談したり、クレジットカードの清算を手伝ってほしい、などといった「固い」話をするには英語の方が手っ取り早いようだが、怒りや不安、悲しみや不満などで切羽詰まったとき、長男の口(指)を突いて出てくるのは日本語なのだ。

彼はその事に気が付いているのだろうか。私が指摘すれば、”So what?” と突っぱねられそうなので言わないが、やはり長男のどこか深いところで私から受け継いだ日本人としてのDNAや、日本で過ごした日々の名残が根付いているのだと思う。

つくづく不思議な現象だと思いつつ、私もローマ字でメールを返すのである。

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