頭の中は、英語?日本語? by 鈴木典子
たまたま、小学生のころ、近所に外国暮らしの経験のあるおば様がいらして、そこで英語で遊ぶクラスに行き始めたのが、私の英語学習の始まり。それ以来、英語学習の歴史は長く、45年以上の付き合いである。
このうち、英語が公用語の環境での生活は、就職後、語学研修でのニューヨーク3か月、結婚後夫の赴任先であったカイロ4年、トロント7年だ。
英語教育に力を入れていた中高のおかげもあり、就職直前には英検1級に合格することもできた。それでも、実際に英語で仕事をするとなると、今もって書くのもしゃべるのも、とても自信満々と言うレベルではない。
一方、子供たちはというと、ほぼ日本語環境で育った。
唯一、長男は1歳から5歳までをカイロですごした。最初に喋った言葉は「水」、ただし、親に対しては日本語で「みず」、ベビーシッターさんに対してはアラビア語で「マイヤ」、保育園の先生に対しては英語で「Water」と3か国語で使い分けた。生きていくための本能だろうか。そのあと、小学校6年で野球の交流でオーストラリアへ、中学3年で市の交流プログラムでオレゴン州へ。この2回のホームステイ経験もあり、英語を使う社会との接点だけは持ち続けていた。
次男はカイロ生まれだが、言葉を習得する直前に帰国。次男も三男も、幼稚園のころから、近所でオーストラリア人が開いている英語教室に行っていたのと、小学校にJETの先生が来るようになったのと、NHK教育テレビの「英語で遊ぼう」が、英語の経験だった。「外国人」「外国語」に抵抗感がない状態には育っていた程度だ。
当然ながら、7年前にトロントに来たときには、10歳と12歳だった下二人は、学校で先生の言うことはほぼ全く分からない。こちらから伝えたいことは、英語で書いたメモを持たせた。私が担任の先生や野球のコーチと、直接会ったり、手紙やメールのやり取りをして、確認を重ねた。教科書や宿題も、せっせと翻訳して手助けした。
本人たちが、大して気にせず乗り切れたのは、得意な野球を始めとしたスポーツと、当地より進んでいた日本の算数・数学のおかげだろう。あとから、「あのころ、丸1年くらい、学校で一言も口きかなかったかも…」「あ、俺も~」などと兄弟共々告白してくれた。下手したら、相当深刻な事態だったのかも、と冷や汗をかいた。
一方、「日本語英語」経験の一番長い長男が、実は一番苦労をした。編入したのが15歳、当地での高校1年目の終わりということもあり、勉強内容も難しかった。私と電子辞書では翻訳することができないことも多く、インターネットの科学翻訳のページには、相当お世話になった。
ESL生としてフランス語を免除されるなどの措置を受けられたこと、数学が強かったことに加え、持ち前の真面目で温厚な性格から、先生や友達の助けも得られて、オンタリオの大学に進学するだけの成績を取ることはできたが。
今トロント生活も7年が過ぎたが、私はメールや手紙など、時間があれば三男に見てもらい、いろいろとコメントを頂戴する。いわく、難しい表現を使いすぎる、こんなに丁寧に言う必要ない、持って回っていて何を言いたいのかわからない、などなど、いずれもごもっともなものばかり。
次男も、一昨年から米国の大学に進学し、「授業は簡単」とのたまう。
よく言われる、「英語で寝言を言った」のは、来てから2年が過ぎたころだっただろうか。これは長男が最初だった。ここ数年の間は、学校や野球の時は兄弟の間でも会話は英語。家ではもっぱら英語のテレビ番組や映画を楽しんでいる。学校の授業は3人とも、聞いている分にはほぼ支障がないそうだが、読書量が不足しているので、読むのと書くのはまだまだ力不足のようだ。
私はというと、映画もドラマも、一生懸命聞いていても、コマーシャルの間に、「今、なんていったの」「何が起きたの~」と聞いてはうるさがられる。ギャグやジョークは、皆目理解できないのに、子供たちはゲラゲラ笑っている。なんとも、うらやましい…。
それで、ふと気になって、聞いてみた。「一人でいるとき、英語で考えてる?」答えは、3人とも、「Yes」だ。続いて、日本語環境の我が家に私と一緒にいるときは、「日本語」。周囲の環境に合わせて、自然に切り替えているらしい。いや、切り替わるらしい。時々切り替わりそこなって、英語の単語に日本語の語尾がついたりして、『ルー語』(注)になってるけど。
注:ルー語:日本のお笑いタレント、ルー大柴が多用する、英語を日本語に混ぜて話す表現。例えば、『人生はマウンテンありバレーあり(山あり谷あり)』、『トゥギャザーしようぜ(一緒にしようぜ)』など。
長男は、「読むときは日本語に訳してから理解してる」とのこと。中学で文法を叩き込まれただけあって、文法に即して訳しているのだそうだ。
私はしゃべるときも、文法にとらわれて、「定型」パターンを使ってしまったり、自然にではなく翻訳しながら話している。
そんな3人が口をそろえて言ったのが、「数を数えるときは、日本語」。「その方が早いでしょ」と言われると確かにそんな気がするし、長男の説明の、「数学は脳の言語機能、思考機能と違うところを使うらしい」というのも、そんな話を聞いたことがあるかも。「日本人だけじゃなくて、韓国人とかも母語で数えてる」んだとか。
どなたか、科学的な根拠とかご存じだったら、教えてくださいませ。