書評・イベントレポート:『亡命ロシア料理』

文・モーゲンスタン陽子

photo (2)ここ数か月、日本の外国文学好きのあいだで静かなブームになっているエッセイ集がある。『亡命ロシア料理』(ピョートル・ワイリ,アレクサンドル・ゲニス著/沼野充義,北川和美,守屋愛 訳/未知谷 刊)である。

著者のワイリとゲニスはともにユダヤ系ソ連市民で、77年にアメリカに移住した。デタント(緊張緩和)を受けて国外に出たいわゆる「第三の波」に属し、おそらく亡命者というよりは移民と呼ぶのが適当だろう。移住後に執筆を開始し、ニューヨークを基盤に活動している。

私がこの本にめぐりあったきっかけは、今年創設された「日本翻訳大賞」だった。1次選考ノミネート作品は一般読者からの推薦で決まるのだが、大手出版社のタイトルだけを追っていてはまず知り得ないような、良質な作品が多数紹介されている。

さらに興味をそそられたのは、それらの作品を世に送り出してくれた版元だった。採算を度外視して選りすぐりの作品を出し続けるインディー出版社が多々あることを知り、元気が出るとともに自分の無知を恥ずかしくも思った。

そんな版元の1つに未知谷があった。本書ではなく別の作品がノミネートされていたのだが、好奇心から私は未知谷のホームページを開いてみたのである。そこで見つけたのがこの『亡命ロシア料理』だ。

その紹介文がこうである。「アメリカとロシア、二つの文化の狭間に身を置いた亡命者のノスタルジアが、極度に政治化されたこの20世紀末に、イデオロギーを潜り抜け、食という人間の本音の視点から綴らせた料理エッセイ、機知に溢れた文明批評」

これだけ読むと学術論文のように思える。ところが、本文抜粋はこんな感じである。「おたまを持って鍋の前に立つとき、自分が世界の無秩序と闘う兵士の一人だという考えに熱くなれ。料理はある意味では最前線なのだ」

と、どことなく酔っぱらいのオッサン風の文体なのだ。

テーマの深淵さと軽やかな文体とのギャップに惹かれた私はさっそく1部購入した。同じように異国で執筆活動をする者としての興味もあった。欧米の亡命作家やジャーナリストにはホスト国の言葉を創作言語に選ぶ者が多い。そのほうが祖国の窮状をより広い世界に伝えられる、あるいは新しい「声」のほうが母語では書き得なかった内容を表現できる、などといった理由からだ。

ところが、ワイリとゲニスはおもにロシア語で執筆を続けている。たしかに本書も、ヨーロッパ的ブラックユーモアとでもいおうか、北米的ポリティカル・コレクトネスのスタンダードで考えるとかなり際どい表現が多い。にもかかわらず、その力の抜けた文体で歴史・社会・政治などの諸問題に鋭く切り込んでいく本書を、ときに笑いをこらえながら一気に読み終えてしまった。

著者の教養の深さには疑いの余地がない。個人的には、その比喩の巧みさに目を見張った。「靴底の土くれのように故郷を外国に持ち出すわけにはいかない」「花嫁のように柔らかい」「チーズも公民権も同じ発酵菌からできているらしい」等々。

とくに、同じく祖国から遠く離れたところで暮らす者として「人間と故郷を結びつける糸には、実に様々なものがなり得る。偉大な文化、強大な国民、誉れ高い歴史。しかし、故郷から伸びているいちばん丈夫な糸は、魂につながっている。いや、つまり、胃につながっていることだ」というくだりには、身をもって共感できる。

「女はボルシチを心の中で、ときには顔に涙を流しながら作る。ボルシチは、何百年も続いた奴隷生活の象徴だからだ」(第30章「女性解放ボルシチ」)

「女はボルシチを心の中で、ときには顔に涙を流しながら作る。ボルシチは、何百年も続いた奴隷生活の象徴だからだ」(第30章「女性解放ボルシチ」)

ところで、本書はロシア料理のレシピを紹介する料理本でもあるのだが、一部をのぞきレシピは各章の中で文章形式で紹介されている。ロシア料理を楽しみながら本書、ひいてはロシア文学について語り合おうという趣旨の会が、4月12日、都内のロシア料理店「海燕」にて開催された。京都や大阪でも同様のイベントがあったようだ。冒頭で述べたとおり、本書は日本各地でひそかなブームとなっているのだ。

東京での主催は「東京大人の読書会」。2011年に発足し、約100名のメンバーがいる。課題本をテーマとした定期的な会合に参加するのはそのうち2,3割程度だが、「少人数で親密な話ができるような仲間が増えていけばいい」と、代表の典子氏は言う。

当日も、小さな店内は10数名のメンバーでいっぱいになった。それぞれが本書や、他のロシア関係の本を手に、料理を楽しみながら熱い議論を交わした。ブック・クラブという集いは北米ではおなじみだが、日本でも同様の活動があることに驚いた。2007年公開(日本では2008年)の、同名の小説をもとにしたアメリカ映画『ジェイン・オースティンの読書会』(The Jane Austen Book Club)のヒットをきっかけに、国内でも読書会を称するグループが徐々に増えていった、と典子氏は言う。

「当会の課題本は20世紀以降の現代海外文学にしぼっていて、その理由は、日本の近代文学は本好きであれば10代のうちに読んでいる方が殆どであることと、最近の海外の作家を意識的に読むことのほうが世界への視野が広いメンバーになるのではないかという意図はあります」(典子氏)

本読みというのは得てして内にこもりがちだ。同じ趣向を持つものが集まり、気兼ねなく意見を交わせる場がこれからもどんどん増えるといいと思う。そのうちぜひカナダ文学についても語り合ってくれることを願ってやまない。

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