おもてなし? 過剰サービス?
文・広瀬直子
「お客様は神様です」というのは、演歌歌手の故三波春夫さんが1960年代に流行らせたフレーズだが、このフレーズが日本人の心理に定着してしまったとしたら、サービスを提供する側は大変だ。
しかも最近、日本人の「お客様は神様」心理に拍車をかける出来事があった。2020年のオリンピック誘致のためのプレゼンテーションで、アナウンサーの滝沢クリステルさんが日本の「お・も・て・な・し」カルチャーを紹介し、この言葉がものすごく流行ったことだ。この言葉は、日本の優れた接客を称賛する一方で、それでなくても労働者に厳しい日本の接客業にさらなるプレッシャーを与えているのではないか。「”お・も・て・な・しの日本”というイメージに見合わなきゃいけないんだ」と。
日本の客は概して要求が高く、細かく、厳しい。北米やヨーロッパでは悪いサービスに対するクレームとして、チップを払わないなどの意思表示はもちろんあるが、お客様は神様ではない。サービスして「いただいた」客が店員に「Thank you」と言うことの方がその逆より多いと思う。
ましてや、最近日本で問題として取り上げられているという「いちゃもんを付けて店員に土下座させる客」なんてカナダではありえないと思う。そもそも「土下座で謝罪」などというサディスティック・マゾヒティックな習わしは―少なくとも普通の表の世界には―ない。
カナダに20年間住んでいる私は、日本への一時帰国時、飲食店でウェイターやウェイトレスが注文を受ける時にひざまずくと「えっ、やめて!立って!」と思う。ブティックで店員が丁寧に品物を包装してくれて、紙袋を私が受け取ろうとするとき「入口までお持ちします」なんて言われてしまうと「あ、そんなそんな、けっこうです」と言ってしまう。「ポイントカードをお作りしますか?」と訊かれて「要りません」と言うと「申し訳ございませんでした」と謝られてしまい、「いえいえ、大丈夫ですよ!」なんて反応もしてしまったりする。
こういう接客をされることに快感を覚える人もいるのかもしれないが、私はこのロールプレイがどうも苦手である。
カナダの方がいいと言っているのでは決してない。スーパーにカビの生えているフルーツが平気で置いてあったり、通信会社が何日の何時に機器の据え付けにくるはずなのに、無連絡で誰も現れないのはどうか、と心底思う。
もちろん、日本のサービスが世界最高レベルだということは今さら言うまでもない。
しかし、カナダのドーナツ屋のカウンターで注文するとき、店員にテイクアウトが入った袋を不愛想に渡されて思う。確かに感じは良くない。でも人間誰だって機嫌の悪い時はある。そんな時に無理してスマイルするのはかなりのストレスだ。店員側のストレスは日本よりこっちの方が低いだろう。
一方で日本のいわゆる「ブラック企業」で働く営業職や店員の人の過労死の報道を見ると、「そこまでがんばらせなくても」と胸が締め付けられる。
いいサービスは古今東西、誰だって大好きだ。でも、お金をもらう側が自分を押し殺してただただ隷属し、ギュウギュウになるまで精神力の限界を試されていいはずがない。