養子たちは生まれた国に回帰する―アルバート・シン監督「In Her Place」
文・田中裕介
今年の2月、トロントではコリア系カナダ人二世のアルバート・シン監督「In Her Place」が民族系映画としては異例の一ヶ月近いロングランを果たした 。5月、僕が理事としてかかわっているトロント・コリアン映画祭でも上映され、シン監督がフォーラムに出席してくれて、とても盛り上がった。7月末、トロント国際映画祭(TIFF)が選んだ「2014度のカナダ映画のベストテン」に選ばれ、 ロサンジェルス美術館(LACMA)で上映された。カナダのアジア系コミュニティにとっても名誉なことだと思う。
帰巣本能か、帰属意識の追求か
この作品は、秘密裏に行われる韓国での養子縁組のケースを扱っているが、同時に、子供を産めるかどうかで女性に対する社会的評価が決まってくる日本、韓国、中国に共通する文化を告発してもいる。
恥と世間体に縛られた家制度の裏側を暴いているとも言えるだろう。妊娠してしまった奔放な16歳の娘の将来を憂い、生まれてくる子供を養子に出すことを決めた母。実子を出産したと偽るために妊婦の自宅で出産まで隠れ住むことにした継母となる妻。この三者の葛藤が人里離れた農家で展開する。
韓国では、1970年代から海外へ養子としてもらわれてゆくケースが急激に増え、その数は20万人にのぼるという。現在は、中国での一人っ子政策で大量に生み出された養護施設から海外へ養子縁組みされるケースが非常に多い。養子縁組は、子供に恵まれない親と、親に恵まれない子供の双方にとって幸せな家庭生活を提供しうる制度ではある。ところが、養子が成長するにつれ血の繋がっていない、あるいは人種が異なる家族との違和感に悩み、学校で孤立するケースが多いという。養子は戸惑い、反発し、問題児となってゆく。結果として、不安定な十代を過ごしがちだ。そして成人してやっと自分を受け入れるようになった時 、養子たちは自分の実親を捜し求める。屈折した心の軌跡を赤裸々に語るドキュメンタリーがネット上にいくつも掲載されている。
オタワ生まれの映像作家アルバート・シンは、ある時、韓国のレストランでテーブルを囲む大家族がひそひそ話すのを耳にした。「あの人、ほんとに出産したのかな。もしかして子供は養子かも」という内容だった。出自と血縁は韓国では極めて重要なアイデンティティの証なのだ。その会話を発展させて映画にしようと思った 。
ストーリーは、韓国の農村を走る高級車から始まる。乗っているのはソウルに住むエリート夫婦。ある農家の母子家庭で16歳の娘が妊娠してしまった。母は 世間の噂にならないように娘に学校を中退させ、家にこもって出産の日を待っている。 幸い、不妊に悩む夫婦が養子を求めていた。継母となる妻は出産まで妊婦と一緒に過ごしたいという。実は、自分が妊娠して米国で子供を生んだことにしたいという思いがあった。 ところが彼女の介入は思わぬ波紋を呼ぶ。母子家庭の背景、父の不審死、母親と近所の男の関係、夜這いして来る娘のボーイフレンドは生まれて来る赤子の父親でもあるようだ。カメラはこれら五人の心理描写を静かに追う。「In Her Place」という題名には、閑散とした農村での孤立した「空間」と、「身代わり」という二つの意味が暗示されている。
結末は痛々しい。フィクションとは言え、他に打つ手はなかったのかと見終わって溜息が出た。生まれてくる子供に罪はない。人として尊厳を持って扱われるべきである。だが、現実には生まれ落ちた環境が、その子の運命をほぼ決定する。
養子は家の子か、社会の子か
かつて村が、寄り合いと村長(むらおさ)の合議で成り立っていた時代があった。それは日本の農村でも、カナダ先住民の共同体でも同様である。父親が誰であろうと、生まれた子供は母親の下で一族が育てるのが当然だと見ていた。現代の養子縁組の問題点は、この共同体の欠如と核家族化にあるのかもしれない。
更にいうと、近親交配は不妊その他を引き起こす確率が高いため、これをタブーとし、一方で絶えず外の血を家族に迎える伝統を形成したようだ。それは韓国の本貫、中国の同姓不婚の制度として遺っている。同時に不妊症の女性に対する偏見となって、今もはびこっているようにも見える。日本語の「うまずめ」、中国語では「石女」という言葉がそれを示している。
日本での話。名家に嫁いだ女性が、数年経っても子供ができないことを理由に離縁されたケースを知っている。後ろ指を刺され、陰湿な計略が続き、出来の悪い嫁に仕立て上げられていったようだ。後に、 その女性と吞みながら話を聴いた。「そんな因習的な家は出てよかったね」と慰めようとした。すると、彼女はきっぱりと「もし子供が出来ていたら、別れなかったと思う」という。彼女の中でも子供を産むことが女としての価値の最重要件となっているのだ。「産めないのか!」という女性議員に対する都議会でのヤジが、如何に鋭利な男尊女卑の牙となっていることか。
一方、カナダの特にキリスト教信者の家庭では、養子縁組は普通に行われている。子供は自分が生まれた日と、養子となった日の2回お祝いされるという。アジア人を養子とする家庭も知っているが、何の隠し立てもない。秘密裏になされる養子縁組により、 実子として育てられた養子が将来背負うことになる重荷を考慮すべきではないかと思う。分別がついてから打ち明けるつもりだというが、いつ、どんなタイミングで子供に伝えるか。難しい問題を含んでいる。
自分の周囲にも同じようなケースがあったことを思い出した。家族同様に育った隣家の16歳の少女が、ある夜、うちの玄関先で泣いていた。夕食の最中だった。母が気づいて「K子ちゃん、どうしたの?!」と駆け寄った。数年前に引っ越して行った隣家は崩壊していた。母は男をつくって逃げ、父は再婚した。その時、初めて彼女は戸籍に「養女」とあるのを発見したという。十代の多感な時期に、突然養子であることを知った時の裏切られた思いはいかばかりだったかと思う。帰るべき家を失った少女は、かつての隣家の戸口に立って泣くしかなかった。母が後に言っていた。駆け寄った時、もしやと、とっさにお腹に触って妊娠していないかどうか調べたと言う。しばらく二人だけで話した後、「いつでも来なさいね」と励ましていた。それから時折、笑顔で訪ねて来るようになった。
彼女は高校を止め、ウェートレスをして自活を始めた。何度か様子を見にその喫茶店を訪れたことがある。「ヤッチャン(僕のニックネーム)は、小さい頃からお兄さんみたいな存在だったから…」と彼女がぼそっと脈絡なく言った言葉を今、思い出した。2歳違いの小学生だった頃は、互いの存在を意識し合うことなどなかったはずである。ふと、人間に帰巣本能があるとすれば、これかもしれないなと思う。人間の脳には現在と過去を繋ぎ留め、自らの存在の起点を絶えず明確にしておこうとするmapping(地図作成)機能が備わっているのではないだろうか。
何気なく言った「お兄さんみたいな存在だった」という言葉は、消えてしまった彼女の「家」の代わりに、僕の家族を「心の古里」として選び取ったということなのではないだろうか 。誰でも帰るべき原点が必要なのかもしれない。
*この記事は「月刊ふれーざー」2015 年5号に掲載された拙文を修正、加筆したものです。田中