日系三世が笛の音で謡う“Asia Beauty”―フルート奏者ロン・コーブ 

文・田中裕介

子供の頃、夜になってから口笛を吹くと、「人さらいが来るよ」とたしなめられて布団にもぐった。夜半に道路から聴こえてくるのは按摩さんが歩きながら吹く笛の音で、今なら客寄せのためだと分るが、子供心にそれはとても不吉な「人さらい」の魔笛に聴こえたものだ。

ところが、この「人さらいが笛を吹いて来る」と言う迷信の起源は、驚くなかれ13世紀のドイツの故事、奇抜な色の服を着たパイドパイパーの笛の音にさそわれて、子供たちが消えていったという「ハーメルンの笛吹き男」に繋がってゆく。

ロン・コーブの笛の音は千年の東風をカナダに運んでくれる。彼自身が笛の音のような人だなとも思う。ドアの隙間からスゥーッとどんなジャンルにも自在に入り込んでいって、出て来た時にはそれを自分の音楽として奏でている。民話で辿るシルクロードの旅が可能ならば、音楽で辿るシルクロードも可能なのだと気づかせてくれたのは彼だった。

Joyful Rain

CD “Asia Beauty” から“Joyful Rain”のカバー写真 (Photo: Jade Yeh)

  • ケルト音楽と宮沢賢治

何がそれを可能にしたのか。おそらく多文化主義の国カナダのオンタリオ州で、しかも日系二世マリー・コーブ(旧姓・圓入)さんを母とし、ドイツ系を父として生まれ育ったことに起因するのだろうと思う。子供は音楽を空気のように吸って育つからだ。ロンは小学生時代にジャズに憧れ、トロント大学でフルートを学んだ。卒業後、彼はまっすぐ日本を目指し、2年間、尺八や雅楽を学びながら、どっぷりと日本の音楽に浸って帰ってきた。

因みにロンの母方の祖父・圓入(エンニュー)三之助は、福岡県嘉穂郡馬見出身。戦前のバンクーバーにあった「白人社会に菊を宣伝普及し親睦をはかる」のを目的とする九重会10周年記念誌(1940年刊)の会員名簿にこの名が見える。

ロンの初期のアルバム「Japanese Mysteries」(1993年)は、彼のキャリアの「帰るべき場所」ホームベースになっている。 ファンの一人として、今も懐かしく思い出す。メロディラインに彼自身が感じたままの日本の音楽が溢れているからだ。中村八大や滝廉太郎を彷彿させる旋律が隠されている。

それも道理だと思う。「唄は世に連れ」というが、戦後最大のヒット曲「上を向いて歩こう」を作曲した中村八代は、中国青島市で生まれ育ち クラシック奏者を目指したが、戦後の復興期に日本のジャズブームの草分けとなったピアニストだ。時代がそうさせたのだ。「上を向いて歩こう」(1961年)のどこにも日本的な旋律はない。国籍不明の楽曲である。逆に、ジャズからクラシックに入っていったロンが作るメロディに、八代が紛れ込んでいても不思議ではないと思う。

その後、ロンはケルト音楽に傾倒してゆくが、戦前を代表する作曲家・滝廉太郎がケルト音楽のスキップするような「タッカタッカ」というリズムを使って、明治大正期の日本の音楽の基礎をこしらえたことと符牒が合いそうだ。

ロンと初めて一緒に仕事をしたのは、1996年、トロントの国際交流基金で一週間にわたり開催された「宮沢賢治生誕百年祭(1896~1933)」だった。岩手県出身の移住者で「語りの会」の菊池幸工さんが中心となって、地元花巻の賢治記念館と提携して企画した手作りイベントだった。ロンとそのバンドを招聘し、宮沢賢治の作詞作曲による曲を演奏してもらった。

Pomanti, Korb, and Wang

トロントの新作発表会で演奏する左からLou Pomanti, Ron Korb, Linlin Wang(Photo: Blenda J. Fordham )

「ほしめぐりの歌」、「イギリス海岸の歌」、「剣舞の歌」等は賢治が書き下ろした楽曲で、一般には知られていないがネットで検索すると出てくる。特徴的なのはケルト音楽風の軽やかにスキップするようなリズムである。

ここで思い出すのは、2013年に他界した日系二世ハリー・アオキという多才なミュージシャンだ。彼は1960年代から民族を超えた音楽活動を続けてきた。CBCのラジオ番組に出演し、自作のアルバムを紹介していたのを聴いたことがあるが、滝廉太郎作曲「箱根の山は天下の険」とケルト音楽を重ね合わせてその類似性を語っていた。日本にドレミファ音階が入ってきたのは高々140年前だが、この日系二世にとって、 それが日本の音楽であると先験的に受けとめられたようだ。これは日本古来の音楽ではない。だが既に日本文化の一部となっていることは確かであり、それが時空を超えて一つの類似性だと感じられるのは無理からぬことだと思う。

  • 先住民から欧州、そして中国へ

ロンは250種類の吹奏楽器を駆使して観客を魅了する。彼の吹く荘厳なバス・フルートは、毎年8月にトロント市庁舎広場などで開催されるヒロシマ・ナガサキ記念日に欠かせない音色になっている。尺八とまがう程の竹管とネイティブの縦笛を吹き分けて違いと類似を解説してくれたことがあるが、こんなふうに広島・長崎とカナダを音で繋いでくれる音楽家は他にいない。その幸運に感謝した。

七月初旬、最新アルバム「Asia Beauty」のトロントでのお披露目は、その名もMusideumという世界中の楽器を展示しているミニ博物館で行われた。伴奏はピアノ(ロー・ポマンティ)と中国楽器の二胡(リンリン・ワン)。この二胡(アーフー)とロンの奏でる木管が、ひらひらと野原を飛び交う二羽の蝶のように絡み合う。その蝶たちを、ピアノ伴奏がそよ風のように花から花へとみちびくのである。夢心地の夕べだった。

ロン・コーブをアジアに引き戻したのは、数年前に結婚した彼の妻ジェイド・イーの功績だと思う。彼女の案内でアジア各地を旅し、知識とイメージを膨らませて「アジアの美」を楽曲にしたのである。中でも「Joyful Rain」は、このコンセプト・アルバムの圧巻だと思う。 プレリュードで使われる中国琴ガツェンのアルペジオが、 五月の雨上がりの情景を彷彿させる。この軽やかなイントロをピアノとチェロが引き継いで、聴く者を夜のとばりの中に漂う川船に乗せてくれる。ロンの吹く竹笛バウとディジはあたかも2羽の小鳥が語り合っているかのようだ。あるいは屋形船の上で、角砂糖に注いだ紹興酒を酌み交わし談論風発する二人の詩人かも知れない。ロンは詩人・杜甫の「春夜喜雨」をこの曲想としたという。

ron korb

2015年8月6日、トロントのトリニティ教会で催された恒例の広島・長崎記念日で演奏するロン・コーブ(Photo: Yusuke Tanaka)

「春の夜の雨を喜ぶ」(田中訳)

好い雨は降る時を知る

春その営みは生まれ

風の間に間に密かに紛れて

夜、音もなく全てを潤す

野径を覆う雲みな黒く

川舟に灯る明かり独り

夜明けに紅く湿る辺りを看れば

成都に咲く花の重さよ

(この記事は「月刊ふれーざー」本年8月号掲載記事に加筆したものです)

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