The 40th Toronto International Film Festival~日本映画の「けなげ」と「負い目」の美学
文・田中裕介

是枝裕和監督「海街Diary」(2015.TIFF)
15年前、父は不倫の果てに出ていった 。母も後を追うように、子供を祖母に預けたまま出ていった。 遺された三姉妹の長女が母親代わりとなってこれまでなんとかやってきたのだ。そこへ再々婚した父の死亡通知が舞い込んだ。山奥の温泉地での葬儀。駅で待っていたのは2番目の妻の娘だった。三姉妹の家庭を壊した母を持つこの四女は、複雑な思いに耐えて葬儀に参列している。初めて会った腹違いの妹のけな気さに惹かれた長女は、別れ際に「ねえ、よかったら鎌倉に来て一緒に住まない?」と声をかける。物語はその後の四姉妹の一年間の生活を追う。
是枝裕和監督「海街diary」そして「Ozuの孫」になる
鎌倉雪ノ下のこんもりした緑の中の古い屋敷。江ノ電「極楽寺」駅の木造の駅舎。逗子海岸を見下ろす高台から見る四季の移ろい。庭の老木に実った梅で自家製の梅酒をつくる美しい姉妹たち 。取り立てのシラスを丼にのせて掻き込む少女の指先の箸の動き。この映画を見終えた移住者女性が、「日本人に生まれてよかった」と溜息をついた。
日本映画の伝統の味わい。贅沢な気分にしてくれる映画である。だが、「でもなあ」とお茶をすすりながら思うのだ。小津安二郎が逝って50年を経て、尚もその亡霊に憑かれているような気がしたのである。
小津監督は平凡な小市民の生活から逸脱することはなかった。それ以外は失敗作として顧みられなかったというべきか。 戦後の日本映画の黄金時代に、娯楽と癒しを求めてくる観客のニーズに手練の職人が律儀に応えた作品群である。「海街」の長女役の綾瀬はるかの首から横にまっすぐに伸びた肩の線に、往年の銀幕の女神・原節子のそれを見たような気がする。きっと、僕も小津の幻影を求めている一人なのだろう。それから半世紀。是枝監督は海外で「Ozuの孫」と評され始めた。自身も小津がかつて常宿としていた茅ヶ崎海岸の旅館に籠って脚本を執筆している。小津と是枝に共通するものは何なのか。

故・原節子 出典:http://wallaby-clinic.asablo.jp/blog/img/2013/04/07/280c99.jpg
斎場の煙を見ながら
小津監督「東京物語」(1953)の陰の主役は「戦死した息子」である。画面には出て来ない「息子」は、先の戦争で死んだ250万の息子や夫や父を象徴していた。それは生き残った日本人が背負わされた負い目である。そして、嫁・紀子が、「時々あの人のことを忘れることがあるの」と語り、義父が「もう十分ですよ。あなたも幸せになりなさい」と応えた時、観客は許されたような慰めを感じたのではないか。
是枝映画はこの「陰の主役」の手法を「世襲」したという意味で「孫」だと思う。これに気づいたのは、長男の命日に集まった家族を描いた「歩いても歩いても」(2008)だった。でも、たどっていくと処女作「幻の光」(1995)に行き着く。「あの人、なんで死んだんやろ」と未亡人が語り、再婚相手が「きっと幻の光に誘われたんやろ」と応える。死者を思うけな気と負い目がここにある。 2作目「ワンダフルライフ」(1998)は、成仏する手前の、いわば「斎場の待ち合い室」が舞台だ。各々の人生で「最良の一瞬」の思い出が再現される。ここで観客は、煙となって死者の側から現在を見つめることになる。
これは「海街diary」の最後で、姉妹たちの台詞となって繰り返される。「自分の人生で一番幸せな思い出ってなんだろうね」という、それ自体が人生を祝福する言葉となって大団円を迎える。僕の「でもなあ」というぼやきは、この映画が健全で前向きなホームドラマに丸く収まってしまうことだろう。小津監督「晩春」(1949)の最後の場面では、娘の嫁いだ後に残された父・笠知衆が、一人でりんごの皮を剥く。その一瞬の「溜息」が是枝映画からは聴こえてこない。
田中希美絵監督「かくれんぼ」と日本の風土病「ひきこもり」

田中希美絵監督 (Photo: Yusuke Tanaka)
「海街」の後に短編「かくれんぼ」を見ると、現実に引き戻されたような気になる。 別荘地・湘南から殺風景な過疎の町に目を転じると、小市民の孤独と憂鬱が露わになる。舞台は、一軒家に住む年金暮らしの母と引きこもりの息子。長男は家を出て東京で働いている。その母が突然逝ってしまった。この先、弟の面倒は誰がみるのか。
これは 、そのまま高齢化社会の未来を指差してもいる。結果として、母の死が引きこもりの弟を、兄の前に引き戻してくれたとも言える。ところが、弟は兄が母を殺したのだとなじる。怒り狂う兄。長く家を顧みなかった兄の「負い目」が暗示される。一方、弟の他者依存は不問に付されたままだ。
日本には70万人もの「引きこもり」が部屋の中で「自由」を享受している。 田中監督は「引きこもりを取材してみて感じたのは、ごく普通の家庭だということ。ほんのささいなことが原因で、いつのまにかずるずると引きこもりになっていた、という例がありました」と語る。 イジメや鬱で登校拒否になった子供を引きこもらせる母親自体も、実は精神的に子離れできずいるのだ。ともに精神的に依存し合い、判断停止のまま互いに不正直な時間だけが流れてゆく。
一方、「海街Diary」の両親に捨てられた姉妹たちがけな気に生きる姿は輝いて見える。各々が「自立」に向かっているからだ 。ならば、「引きこもり」という「支払い猶予」が切れた後の人間が描く幸せとは、どんなカタチなのだろう。もしかすると、それが日本の探し求める希望の未来図かもしれない。日本全体が内向し「引きこもり」状態にあるようにも見えるからだ。
その意味で、新人・田中希美絵監督の自立した姿勢はエポケーとは無縁だ。本来は、日本のエリート層に属する一人である。東大経済学部出身で、数年間、インド、チリの海外企業に勤めた後、「ビジネス・アナリストの仕事はもっと歳を取ってからでもできるかなと思って」映画をNYU大学院シンガポール校で学んだ。次回作は「この続編を長編にしようと思っています」と語る。4カ国語を操り、現在はパリ在住というこの監督が描く、日本の風土病とも言えそうな引きこもりたちの未来図。俄然興味がわいてきた。
(これは「月刊ふれーざー」10月号掲載記事を修正したものです。筆者)