ヤング通りの男性ストリップ劇場で考えたこと

文・モーゲンスタン陽子

 

5年前、40才になったとき、私はまだカナダに住んでいた。友人がお祝いにと、男性ストリップ劇場に連れていってくれた。なぜストリップかというと、1つ年上の彼女が以前行って面白かったと話してくれ、私もじゃあ話の種に、とかねてから希望していたからである。

ちょうど今頃、9月初旬の蒸し暑い夜だった。彼女は4人のグループをオーガナイズしてくれた。すべてほぼ同年代の日本人女性。劇場は夜9時からオープンなので、エグリントンの居酒屋でまずは腹ごしらえ。若いバイトのお兄さんをからかって、いざ二次会へ。

くだんの劇場は、Yonge 通りと Dundas 通りの交差点のすぐ近くにある。24時間眠らない東京と違い、イートン・センターの閉まったあとの目抜き通りは、ダンダス・スクエア付近といえどもひっそりとしている。店の入り口には看板もなく、知らなければ見過ごしてしまうような、閑散とした佇まいである。

土地勘のある人ならすぐ裏にあるチャーチ通り(トロントのLGBTコミュニティの中心)の事情も思い浮かべることだろう。しかし、実際客席にいるのは、会社帰り風の、地味でごくふつうの女性の二人組みが多い。通りに面するパリのカフェのように、 ステージに向かって仲良く横並びに並んで、静かに会話を楽しんでいる。年若い男性を侍らすことを好む、マドンナのようなパワーレイディ方を想像していた私には、ちょっと拍子抜けだった。

席には友人が頼んでくれたのだろう、スパークリングワインがクーラーに冷やしてあり、いい気分になったところで、ショーが始まる。

鰻の寝床のような細長い舞台に、うら若きお兄さんたちが素っ裸で登場する。

客席から遠慮がちな歓声が上がる。しかし、パーティーをオーガナイズしてくれた友人にはたいへん申し訳ないが、結論からはっきり言おう。

あんまり、おもしろくないのである。

観客の女性陣も私と同じ意見であると信じたい。シックス・パックをたくわえたお兄さんが素っ裸で舞台に登場するたびに「ウーフー!」と、取って付けたような掛け声を浴びせるが、店内にどこか白け感が漂っているのは否めないのである。

私は男児2人の母である。そのことが若い男性に対する性的欲求を根本的に断絶していると言ってもよい。それはさておき、見ず知らずの男性の裸体を見て、何を思えというのか。相手という個体に対する興味なくしては、その肉体は、少なくとも私にとっては、何をも意味しない。

もちろん、女性でも一夜の情事one night standを楽しむ人はいるだろう。しかし、多くの女性にとって、性的感情は相手に惹かれて初めて湧くものではないだろうか。目の前にブラブラするものは、ただの肉体のパーツでしかない。

いったい、女性向け男性ストリップというものの意義は何なのだろうか。娘のような年齢の女性と交際することが男性のステータス、成功の証というなら、女性も同じようなことをするべきだ、ということなのだろうか。

伊勢志摩サミットの時に日本でも、カナダのジャスティン・トルドー首相のイケメンぶりが話題になったが、カナダでも女性たちによる首相のobjectification(相手を人間ではなく物体、とくに性的対象として見ること)が問題になったこともあった。しかし、アイドルのように相手に憧れている場合の偶像視の心理は、男性ストリップを観に来る女性のそれとはまた違う気がする。そんなことを考えているうちに、第一幕は終わった。

ショーの合間には、ストリッパーたちがテーブルに来て、お酌をしたり話し相手になったりしてくれる。私の隣に来たのは、この店のすぐ近くにある某大学で医学を学ぶロシア人留学生だった。アンタこんなバイトやめて学業に専念しなさいと、いかにもおばさん的な説教をする。

ところでこの店では、チップを払えば個室で「特別ショー」を見せてもらえるシステムである。ただ、触ったり触られたりというのは絶対にない。それがあると違う業種になってしまうからであり、そのあたりは日本と違ってカナダでは徹底している。

冒頭でも述べたとおり、この日は私の40才の誕生祝いだった。お約束どおり友人たちがチップを払い、私はそのロシア人学生と個室に送られることとなった。

分厚いカーテンの内側で私が見たものは、ご想像にお任せする。

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。