書評 小島慶子 『ホライズン』~海外在住の日本人女性の「村」を 描く
文・広瀬直子
見てみないふりをしていたものを、見せられた・・・。というのが正直な感想である。
『ホライズン』は、英語圏の都市(オーストラリアの西海岸と思われる)に住む日本人の女性―研究者の妻の真知子、商社マン妻の宏美と郁子、和食シェフの妻の弓子という、駐在員妻や移住者の妻4名―による語りを交差させて、彼女らの心理模様を繊細に描く小説だ。
私が見てみないふりをしていたのに、この本に見せられてしまったのは、海外在住日本人女性のムラ社会の「階級」意識だ。
私はトロントに20年以上日本人女性として暮らしているので、この本が描くようなカテゴリー分けがあるのにはうすうす気づいてはいた。同著で「(駐在員妻の間に)階級があるのよ(中略)、銀行がえらいとか、航空会社は下っ端とかさ。どうでもいいでしょ。でもみんな、お互いに立場を意識してすっごい気を使ってるの」と宏美が言う通り、カナダでも、大使や領事の妻をトップに、「階級」があるらしい。そして「下」の妻は「上」の妻のいうことには従わねばならないということになっているらしい。
もちろん、海外に在住する日本人女性は駐在員妻だけではない。国際結婚で外国に住んでいる女性たち、ワーホリや留学で来てそのまま居ついた女性たち、または人生の転換を目指して日本を飛び出して現地就職した女性たちは「移住者」だ。私はカナダでワーホリと留学をともに経験し、永住して現地で翻訳事務所を始めたので、カテゴリーは「移住者」。私たちに専業主婦は少なく、大学の研究者、アーティスト、美容師、保育士など職業はさまざま。自力で外国に来て自由に人生を開拓した人が多い。そして、『ホライズン』に出てくるような、日本人男性移住者の妻も、もちろんいる。
私たちの正しい呼称は「移住者」なのだが、駐在員やそのの妻たちは、私たちを「現地人」と呼ぶことがある。もちろん「現地人」とは普通はカナダ人やオーストラリア人を指すのだが、「現地化した日本人」と言う意味でこう呼ばれるのだ。そして、移住者は時々、駐在員妻を略して「駐妻(ちゅーづま)」と呼ぶ。
お気づきでしょうか?駐在員の妻が「現地人」と言い、移住者が「駐妻」と言う時、そこに自分たちとの線引き、そして羨望と軽蔑の両方の気持ちがあることを。駐在員妻は「現地人」の自由な人生を羨み、日本のどの社会階級にも属していないことを蔑む。移住者は「駐妻」の経済的、時間的な余裕を羨み、経済的に守られた人生を生きていることを蔑む。
私には移住者女性にも駐在員妻女性にも友達がいるし、日本人女性が、海外に来てまで自分たちを分類して階級意識を持つことに嫌悪を感じる。なので『ホライズン』に描かれているようなしがらみがあることに気づきつつ、気づかないふりをしてカナダで生活してきた。そんなものはないというフリをしてとぼけてきたのだ。
しかし作家の小島氏は、「海外日本人女性村」のしがらみを、4人の女性の語りを通して見事に描いてしまった。彼女らは、互いの服装や車や会話内容を見て経済状態を分析していたり、何気ない会話の中から学歴を探ったりしている。「私もトロント在住の日本人女性にこんな分析をされているのだろうか」と背中にゾっと悪寒が走った。
駐在員の妻は、言語の壁があると特に「ガラスの箱の中に入っている」(海外にいて、外は見えてるんだけどその中に混じれない)と言われるほど寂しい人も多いと聞く。それに昨今、日本での夫婦共働きが増えていて夫だけで単身海外赴任になることや、(少なくともカナダでは)駐在員の数自体が減っているそうだから、駐在員妻の数も減少していると思われる。それはきっと寂しいことだろう。日本人の女性同士、不必要に分類しないでもっと仲良くしませんか?