カルチュラル・タイフーン・ヨーロッパ
文・モーゲンスタン陽子
「カルチュラル・タイフーン」(「文化台風」通称「カルタイ」)と呼ばれる、日本発の社会学会がある。2003年に始まり、以後毎年日本全国各地で開催されている。
ホームページによると、「既存の学会やシンポジウムの形式や制度にとらわれず、さまざまな立場の人々がお互いにフラットな関係のもと発表や対話や表現活動」を行い、「大学内外の研究者、社会活動や社会運動に関わる実践者、さまざまな領域で活躍しているアーティストたちが、専門分野の垣根を越え、文化と政治にかかわる課題にたいして自由な意見交換と創造的な表現活動を行う場を作り上げること」が目標のようだ。
この学会が昨年、「カルチュラル・タイフーン・ヨーロッパ」として、初めて欧州にやってきた。第1回大会はウィーン大学で行われ、トロントを拠点に活躍するアーティストの武谷大介氏が発表され、私も聴衆として参加した。今年の第2回大会は私の暮らすドイツのニュルンベルクで行われ、地元の芸術家グループと、ベルリン在住の漫画家、長尾果林氏とともに、ワークショップを指導させていただいた。
アカデミアの枠を超え、学者が芸術家や活動家とともにブレインストームするのは新鮮なアイディアだと思う。両者では根本的な考えは同じでも、捉えかたやアプローチのしかたが違うからだ。前者が理論を司るなら、後者は実践だろう。ただ、私たち芸術家側は、アカデミアから求められているものがよくわからないことも多い。実際、ある学者の発表後の質疑応答で、ビジュアル・アーティストが「(今聞いた)そのような理論を自分の芸にどう活かせばよいのかいまいちピンとこない」と言ったとき、学者は「大丈夫だよ、あなたたちは結局、いまだに私たちの研究対象なのだから」と言って笑いをとったが、実際、そういう構造なのだろうと思う。
日本文化がテーマだった昨年の大会とうってかわって、今年は「都市計画」「ユートピア」というコンセプトがあった。長尾氏と私はそれぞれ漫画と翻訳のワークショップを依頼されていたわけだが、自分たちの専門性をどのようにこのコンセプトに当てはめられるのかを理解するのにやや苦労した。ワークショップはとりあえず成功したものの、大会中だけでなく準備段階での学者サイドと芸術家サイドの綿密な対話も必要に感じた。
ところで、この学会は院生たちにも積極的に発表の機会を与えるのが特長だ。今回もたくさんの博士候補生たちがプレゼンテーションを行った。トップダウンだけではない、風通しのいい対話ができる良い試みだと思う。また、昨年のウィーン学会からすでに話し合われていたが、学生が教授に気負わずコメントできるような匿名のオンライン論文プラットフォームの構想なども進行中である。
日本のカルタイでは日本語が公用語であるものの英語の発表も許可されているそうだが、ここ欧州では英語が公用語となっている。今回の大会はドイツ人の割合が非常に高く、また日本学研究者が多いため日本語が達者な人がほとんどだったが、みな英語で発表していた。今年の主催者のニュルンベルク大学日本学学部は、ドイツ語圏での開催が2年続いたので、カルチュラル・タイフーン・「ヨーロッパ」と名乗るからには来年はぜひ欧州の違う言語の国で、と希望を述べていた。
台風が北米に到達するのはいつになるだろうか。
「カルチュラル・タイフーン」ホームページ