本音と失言:「身の丈」発言から教育の機会均等を考える
文・野口洋美
萩生田文部科学大臣の「身の丈」発言は、大臣が不用意に発した本音が国民に与える不信感、そして教育機会の格差について考える機会を与えてくれた。
まずこの「身の丈」発言の全容を紹介しよう。
「身の丈」発言

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この討論で、民間英語試験(英検など7種類)の成績を入試に組み入れることは、受験生の経済的、地理的背景による「格差」を増長するのではないかと指摘された。例えば、地方在住者は、受験料(最高額約2万5千円)のみならず、大都市の試験会場までの交通費も負担しなければならない。
そしてこの意見への反論が、以下のような「身の丈」発言だ。
…裕福な家庭の子が回数受けてウォーミングアップができるみたいなこと は、もしかしたらあるかもしれないけれど、そこは自分の、あの、私は 身の丈に合わせて、2回をきちんと選んで、勝負してがんばってもらえ ば…
大臣は、発言から4日後の10月28日に「説明不足」を謝罪し、翌29日には発言を撤回した。しかしSNS上では「身の丈」発言のどこが失言なのかを問うものも見受けられた。
「身の丈」発言はなぜ失言なのか
2019年10月30日の毎日新聞の社説は、文部科学大臣が、教育基本法の定める「教育の機会均等」を理解せず、新制度が受験生の格差を増長しかねないことを容認したと指摘した。
文部科学大臣の使命は教育格差の是正にあり、その大臣が「格差社会の中で身の丈に合わせろ」という本音を発信することは失言だ。そして大臣の失言は国民の不信を生む。新制度の不備に目をつぶることは、文部科学大臣としての責任の放棄だ、と社説は訴えた。
11月1日、大臣は民間英語試験の導入延期を表明し、2024年度からの実施を目処に再検討するとした。
「身の丈」に合わせざるをえない日本の教育
松岡亮二早稲田大学准教授は、社会経済的地位(以下SES)が高ければ高いほど高学歴である日本社会は、出身家庭や出身地域によって最終学歴が異なる教育格差社会だと、その著書、教育格差(ちくま新書)で明言する。
1986~95年生まれの男性のうち「父親が大卒」の場合、80%が大卒である一方、「父親が大卒でない」場合は、わずか35%が大卒だ。また、都市出身者の63%が大卒であるのに対し、地方出身者では39%が大卒だという。
松岡准教授は、11月3日の現代ビジネス(講談社)で、低SES家庭や地方出身者が「身の丈」に合わせて自身の可能性を追求できないことは、少子化の昨今、社会として非効率だと訴えている。
「身の丈」に合わせなくて良いカナダ、オンタリオ州の教育
カナダ、オンタリオ州には、OSAPと呼ばれる学資支援プログラムが存在する。このOSAPは、もともと低所得層の進学を支援する公的融資制度であったのだが、2017年3月、年収5万ドル(約420万円)以下の家庭の生徒に対する大学の学費を全額免除とする制度が施行された。
2019年、州政権の移行によりこの制度に一部修正が加えられ、支給された授業料の10%を卒業後に返済することになった。それでもこの制度は、ひとり親家庭や様々な事情から親に学費を頼ることのできない学生らの支えとなっている。
この他にも学生達には様々な資金援助が施され、オンタリオ州の大学生の80%がなんらかの公的学資支援の恩恵を受けているという。
大学入試のための経済的ハードルを更に高めるような新制度は歓迎されない。大学進学への機会が「身の丈」など考えることなく、均等に与えられるのはいつのことだろう。 大臣が堂々と本音で発言し、それが失言とならない社会の到来と共に心待ちにしたい。
参考文献:
社説(毎日新聞)https://mainichi.jp/articles/20191030/ddm/005/070/025000c
現代ビジネス(講談社)https://gendai.ismedia.jp/articles/-/68206?page=6