コロナで「最後の夏」を奪われた日本の高校生アスリートのこれから

文・鈴木典子

日本の高校生アスリート(本稿では、学校の部活動でスポーツを行っている生徒をさす)の多くにとって、「最後の夏」といえば、高校3年生の夏休み中に、「全国高校総合体育大会(通称インターハイ、インハイ)」でどれだけ実績を出す最後の機会といえるだろう。 また、高校球児(高校の部活動で野球部に所属している生徒を指す)にとっては、同じく高校3年生の8月に「全国高校野球選手権(通称甲子園、夏の甲子園)」に出場し、優勝を目指すことになる。

日本の高校生に当たる15歳から18歳のスポーツ選手の多くは、義務教育ではないにもかかわらず99%近い率で進学している高校での部活動が活動の場である。部活で参加した大会等でその実力を発揮し、好成績を残した選手がプロ・大学や日本代表などに選ばれることとなる。そして、多くの学校の部活動は、「年齢に関係なく実力がある生徒」だけではなく、年功序列により「3年生」が学校の代表として試合に出るのが通例である。特に上記の2つの大きな大会は、夏休み中の8月に実施されるため、4月に入学して間もない1年生はほとんどがまだ活動を開始してわずかなため、よほど中学で実力が認められた選手でなければ大会出場選手に選ばれるどころか、部活動でも基礎体力つくりや球拾い、先輩選手の補佐などが主な活動になる。2年生は実力を磨き、2年生以下を対象とする「新人戦大会」や補欠などで試合に出る機会を得る。そして、3年生になってやっと学校の代表となり、地方大会でインターハイに出場できる成績をあげ、本大会で成果を発揮し、学校に優勝の栄冠を持ち帰るという目標を目指す。そしてその大会を最後として3年生は部活動から引退し、2年生に後を託す。これが、多くの学校の状況だと思う(これは、高校だけで単独の部活動を実施している学校のことで、中高一貫校は除く)。つまり、多くの高校生アスリートにとって、高校でのスポーツ人生の目標が「最後の夏」のインターハイや甲子園なのだ。

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今年は、新型コロナウイルスの影響で、4月26日にインターハイの中止、5月20日に夏の甲子園とその予選である地方大会の中止が決まった。インターハイ中止は1963年の大会開始後初めて、甲子園中止は戦後の混乱期に中止になって以来初めて、春夏の甲子園大会の連続中止に至っては史上初めてのことだ。

各大会運営関係者は、「最後の夏」を奪われた高校3年生の選手に最後の舞台を与えるため、インターハイについては代替大会(文科大臣杯など)の開催を検討し、日本高校野球連盟(高野連)主催の地方大会も中止となった甲子園については、高野連が各都道府県連名に総額1億9千万円の財政支援を決定し、各都道府県での大会実施の検討が本格化している。

一方で、日本政府による緊急事態宣言解除により、全国の学校が再開し、授業の遅れを取り戻すために夏休みの短縮や1週間の授業時間の増加なども次々と決まっている。生徒の安全第一、次に学業の充実である学校生活の中で、部活動はどの程度実施できるだろう。大会に参加できる個々の選手の体力・能力やチームとしての連携力などをどの程度回復できるのかは、全く不明な状態である。

メディアでクローズアップされるのは、ある意味ステレオタイプの映像だ。「最後の夏を奪われた今年の高校生はかわいそう」という視点から、「今は何も考えられません」と泣き崩れる生徒の姿。または、「試練を乗り越えるけなげな高校生」を励ますために、「気持ちを切り替えて勉強や進学に頑張ります、後輩に頑張ってもらいたいです」と涙ながらに発言する主将の姿。そして、生徒、保護者、学校関係者、運営関係者の安全が確保される保証がないのに、「代わりの大会を何としても実施するべき」とあおる人の声が大きく取り上げられている。

もちろん、目標としていた大会が、『根拠はないけれど、何とか頑張れば実施できそうなのに』中止となったことは、本当に気の毒だと思う。しかし、天災、事故、不祥事などで、試合の中止や部活動の中止を経験することはいつでも誰にでも起こりえる「不運」「不幸」である。大人になってからは、仕事上、生活上で、目標としていたことが、自分の責任ではない理由で(時に理不尽に)無くなったりすることは、ままあることだ。

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この世界的な未曽有の感染症の危機は、世界中の人々の経験と知恵と良識をもって努力を続ければ、必ず乗り越えられる危機だと思う。そのためには、今が我慢の時期なのだ。そんな今年の夏、目標を奪われてかわいそうだから代わりの舞台を用意するのが、大人たちのすべきことなのだろうか。

いろいろな論評やコメントが出ている中で、朝日新聞編集委員の中小路徹氏が提案している以下の視点が、青少年がこの苦しい体験を乗り越えるヒントになるのではないかと思った。

「願わくば、その(代替大会や「区切りの場」を意味する)具体案は、学習指導要領に「生徒の自主的、自発的な参加により行われる」と記される部活動の位置づけに立ち返り、生徒たちが企画するものであってほしい。紅白戦のチーム分けはどうするか、対外試合ならどことやるか、そして誰にどのように見てもらうか……。

きっと、大人たちが整えた大会を目指してきた既存世代とは違う、価値ある体験になる。」

(2020/5/30 「高校総体中止、その後は 代替大会多様なあり方に」

新型コロナウイルスという、誰も悪くない、天から突然やってきたような災厄に翻弄される我々だが、それを乗り越えて、この後何十年も生き続ける若者たちにとって、この苦難の日々を笑って話題にできる日が早く来ることを心から願うばかりだ。

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