オリンピックに寄せて〜アスリートの心身の健康が重要

文・鈴木典子

 コロナ下で開催されているオリンピックは、直前までと言わず開催されている間にも、東京を中心とする感染者数の激増、緊急事態宣言の拡大延長を受けて、中止すべきだという声が収まらない中で行われている。

多くの日本人選手が試合後のインタビューの冒頭に、このような状況でオリンピックを開催してくれたことに対する感謝の表明をしており、SNSで出場辞退を勧められたと報じられた(見も知らぬ他人が直接一生の判断を勧めるなど、SNSならではの珍事もしくは論外の行動と思うが)競泳の池江選手以下、このような状態でオリンピックで競うことに対する罪悪感や疑問など、通常のオリンピック出場以上に精神的なプレッシャーを受けていることと推察する。

そんな中で米国の体操女子のトップ選手であるバイルス選手は、日本時間7月27日の団体総合の試合中、2種目目以降の演技を回避、30日の個人総合への出場を取りやめた。その理由は「メンタル面の不調」だった。30日の朝日新聞の記事には、彼女が「戦えなかったものの、悲壮感を漂わせず、誰かに『申し訳ない』と謝るようなことも」せず、「『メンタルが健康じゃないと、(体操を)楽しむことはできない。』と言った」とある。記者は続けて「スポーツは楽しむもの。心や体の痛みをこらえてまでやるものではない。しかし競争が過熱してしまい、わすれてしまいがちなことだ。」と書いている。

同記事のニューヨーク駐在記者によると、バイルス選手は医師による性的虐待の被害者であり、ブラック・ライブズ・マター運動に対する支持の表明など、近年体操でのメダル取得以外に「米国の『顔』としての注目を一身に受け止めていた」。そうした状態に対し、米メディアは『プレッシャーを受け止めようとしている。それは有害であり、不公平だ』『彼女たちは超人ではない。こうあってほしいと期待する権利など私たちにはない』と報じたと紹介している。

トップアスリートの精神的不調と言えば、思いつくのが本オリンピックの最後の聖火ランナーとなったテニスの大坂選手だ。今年5月の全仏オープンで試合前の取材を拒否したことを契機に、3年近くうつ状態に苦しんできたと公表し、オリンピックが休養明けの公式戦だった。上記記事によると2018年に競泳で五輪4連覇した米国のマイケル・フェルプス選手がうつであることを告白し、そのころからスポーツ選手のメンタルの不調に対し、国際的に関心が高まったとしている。遡ってカナダの競泳選手を対象とした2013年の調査で「上位25%にいる選手集団はうつ病の頻度が2倍高く、成績不良がうつ病と有意に関連していることを報告した」ものもある(注1)。

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日本ではそもそもメンタルの不調を病気としてとらえる歴史が浅く、精神科に受診することも受診していることを知られることも、「恥」とし隠されてきた。トップアスリートは強い精神力で勝利をつかみ、過酷な練習をこなすことで心身の強さを身につけると思われている。一方でトップアスリートの自殺もあり、日本人で有名なところでは(古くて申し訳ないが)前回の東京五輪でゴール直前で3位となった男子マラソンの円谷選手がいる(注2)。

今回のコロナ感染でスポーツチームがクラスターになった例が複数あるが、トップアスリートが身体的にも病気に強いわけではないことも、専門家が警鐘をならしている。激しい運動はストレスの一種であり、「体にストレスがかかると免疫系は元に戻すためにコルチゾールというストレスホルモンなどを分泌します。このコルチゾールには免疫を抑える作用がある(注3)」ため、風邪などに感染しやすくなる、というのだ。

「アスリートの多くは体力に自信を持っており、また普段から疲労や痛みに慣れているため、症状が出ても“大したことないだろう”と軽視しやすい特徴がある(同上)」ことも、感染拡大や重症化を招く要因のようだ。

また、コロナやオリンピックの影響で日程が例年より過密になったことから、トップアスリートやプロ選手ほど、良いプレーを見せたい、実績を上げたいという気持ちの焦りから準備不足や万全でない状態でプレーして、心身の故障を招くことも考えられる(注4)。

実は心身ともにストレスにさらされ、故障の危険性が高いトップアスリート。彼らを追い詰めているのは自他ともに強いことを求める意識だろう。冒頭にインタビューのことを紹介したが、同じくインタビューで私が気づいたのが、卓球の伊藤選手に代表される「楽しむ」という表現だ。競泳男子の瀬戸選手、荻野選手も、不調を乗り越えて臨んだ試合後、「やりたい泳ぎはできた、何より(瀬戸)大也と泳げた、今までのオリンピックで一番幸せ」「(荻野)公介と泳げてすごく幸せ」と発言している。オリンピック開催を実現してくれた、自分を舞台に立たせてくれた多くの人に感謝し、舞台で競技に臨んだことを楽しみ、幸せに思う、その気持ちを素直に表現できることを、私はとてもうれしく思った。

そんな私の気持ちに冷水をかけたのは、7月31日の朝日新聞の記事で、バドミントンについてのリオ五輪日本代表コーチの言及だ(注5)。バドミントンが「『メダルを取らなければならない競技』に変わ」り、オリンピックの重圧の下の心身の消耗に耐えるため、「選手は、普段から極限状態に近い状況で、正確なプレーができるよう練習を積む必要があり」、過去には選手は「すさまじい練習量をこなし」監督は「選手を追い込んだ」、「コロナ前は年間250日間の代表活動が強みだった」が今回は代表合宿が実施できなかったし、監督は直前合宿で「けがをしないようにと調整を優先している印象を受け」たという。このように選手を極限まで追い込めなかったから、今回のバドミントンで世界ランキング5位以内の選手がメダルを取れなかった、ということらしい。

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極限状態の練習を日々続けることで重圧に耐える心身を鍛え上げ、金メダルを取る。私たちは選手にそれだけを求めているのだろうか。メダルが取れなくても楽しかった、幸せだと言える選手を見て、私たちは「情けない」と思うだろうか。心身ともに故障しないように練習して頂点に立てない選手は「練習が足りない」のだろうか。

「スポーツは楽しむもの」。自分の愛する競技を楽しむために必死に練習し、競技に臨んで全力を尽くす姿に、私たちは感動し、励まされるのだと思う。そのためには、選手が心身ともに健康で、苦しい時にはそれを誰かに言ってサポートや治療を受けたり、バイルス選手や大坂選手のように競技などを回避したりすることが、自然にできる環境や社会の理解が必要ではないだろうか。

注1 「トップアスリートは、うつ病の頻度が高い」 2013/7/31 提供元:ケアネット Clinical Journal of Sport Medicine誌2013年7月号の掲載報告

https://www.carenet.com/news/general/carenet/35732

注2 「東京五輪マラソンの円谷幸吉、日本で一番有名な遺言を残した自殺の真相」ダイヤモンドオンライン 2019.10.25

https://diamond.jp/articles/-/218392

注3 「スポーツ選手はコロナに感染しやすい? 専門医が明かした意外な理由」 2020/4/16デイリー新潮(東京大学名誉教授で、ロサンゼルス、ソウル、バルセロナ五輪にチームドクターとして帯同した武藤芳照氏談など)

https://www.dailyshincho.jp/article/2020/04161102/?all=1

注4 「プロスポーツ再開のリスク 連戦で免疫機能低下も」日本経済新聞コラム(スポーツ) 2020年6月4日

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO59815210R00C20A6000000/

注5 「10年磨いた連係 日本勢初の銅 バドミントン・混合複 東京五輪」朝日新聞 舛田圭太の目 2021/7/31

 ■(舛田圭太の目)けがを気にして、追い込みが不足

 今回の出場選手・ペアは、ほとんどが各種目の世界ランキング5位以内。実力を発揮すれば、すべてメダルをとれる可能性がありました。過去の大会では「メダルを取りにいく競技」だったバドミントンが、東京五輪では「メダルを取らなければならない競技」に変わったのです。

 五輪は、普段以上の重圧がかかるなかでの勝負になります。心身の消耗ははかり知れません。それだけに選手は、普段から極限状態に近い状況で、正確なプレーができるよう練習を積む必要があります。

 日本勢が初めてメダルを獲得したロンドン五輪、初の金メダルを手にしたリオ五輪のときは、大会前でもすさまじい練習量をこなしていました。朴柱奉監督は走り込みも課し、選手を追い込んだ。それが4月にみた直前合宿では、けがをしないようにと調整を優先している印象を受け、意識の変化を感じました。

 今大会で結果を残している韓国や中国、インドネシアでは、代表チームを隔離して強化し、国内で強化試合なども組んでいました。

 一方、日本は緊急事態宣言で代表合宿を行えない期間がありました。コロナ前は年間250日間の代表活動が強みだった競技なだけに、影響は小さくなかったと思います。(以下略)」

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