デジタル世代のオリジナル?

文・野口洋美

 1年半ぶりに長野県白馬村からカナダ、オンタリオ州に戻ってきた。

 2021年8月のカナダでは、新型コロナウイルス感染症防止のための水際対策が次々と緩和され、ワクチン接種を2回終えていた私たち夫婦は、カナダ政府が入国者に課していた3日間のホテル滞在も、14日間の自宅待機も免除された。

 レストランやショッピングモールの賑わいは、私がカナダを発った2019年暮、クリスマスの頃と同じだ。コロナ禍における長く厳しい制限を知らない私に、友人たちは皆「いいタイミングで戻ってきたね」と言ってくれた。

 しかし、予定外の長期カナダ不在は、私に時代錯誤だと感じた経験をもたらした。 

日本滞在のままカナダで引越し

 カナダ出国直前の2019年12月、私たちは、子供たちが巣立った後の二人暮らしには大きすぎるカナダの自宅を売却した。そして日本で冬を過ごし、2020年4月にカナダで引越しを予定していた。

 しかし、2020年3月末、未知の感染症が海外から持ち込まれるのを防ぐため「日本国籍を有する者以外の入国を認めない」とする日本政府の方針を知った私たちは、日本滞在の延長を決めた。日本人の配偶者として3年間の在留資格で日本に滞在していたカナダ人の夫は、日本政府が「在留資格を持つ外国人が日本へ再入国すること」を許可するまで、日本を出たくなかったのだ[1]

 日本在住のまま、家族や業者に頼ってカナダでの引越しを済ませた私たちは、郵便物の転送届をカナダ郵便のホームページから申し込んだ。転送先は誰もいない新居ではなく、長女の住所に指定した。

住所変更はオンラインで

 2021年8月、カナダに戻ってまず行ったことは、住所変更手続きだった。手配した郵便物転送の期限も終わりかけていた。

  銀行やクレジットカード等の住所変更手続はインターネット上で簡単にできた。運転免許証やオンタリオ州の保険証であるOHIPカードの住所もオンラインで変更した。

 運転免許証は、2019年12月、日本で運転するための国際免許取得のため更新期日の半年前に更新を済ませていた。国際免許証は、有効期間が1年以上残っていないと発行してもらえないからだ。

 更新が終わっていた運転免許証は、オンラインでの住所変更後、現住所を記載したものが自宅に郵送される。これには 6週間程度を要するが、運転には差し支えない。

 一方、日本滞在中に更新期日を過ぎてしまったOHIPカードの再取得に関しては、サービス・オンタリオの窓口で申請しなければならない。オンラインで予約を取り、ウエブサイト掲載の提出書類リストに従って(1)永住資格証明(2)氏名と署名が確認できる文書(3)現住所確認書を用意した。

オリジナルってなに?

 OHIPカードの取得のため私が用意したのは(1)永住者カード(2)日本のパスポート(3)カナダの納税証明書だ。だが、準備万端で予約日時に出向いたサービス・オンタリオで、私は思わぬ事態に遭遇した。

 「税務署のウエブサイトのマイページからダウンロードした納税証明書」は、現住所確認書にならないというのだ。「納税証明書」は、サービス・オンタリオの「現住所確認書リスト」にしっかり載っているにもかかわらず、だ。

 それでは、と、住所変更を済ませたばかり銀行のオンライン明細書を携帯画面で見せようとすると、「デジタル画面は受け付けない」と言う。ダウンロードのプリントアウトがダメなら携帯画面がダメなのは当たり前なのだが、「ダメモト」というのはこういう時に使う。

 要するに、自宅に郵送された「オリジナル」のみが、住所を証明できる唯一の文書であるらしい。

デジタル時代のオリジナル

 ペーパーレスの進んだ昨今、銀行の明細書はウエブサイトのマイページで確認、クレジットカードの請求書もeメールで送られてくる。確定申告もオンラインで済ませ、納税証明書も必要な時にダウンロードする。もう何年も「オリジナル」など郵送されていない。

 つまり私は、「ダウンロードした文書がオリジナルでない」とは疑ってもみなかったのだ。

 未練がましいようだが、裁判所ですら「ダウンロードした書類」を正式な証拠資料として受け入れる。ちなみに私は法律事務所に勤務している。そうそう、職場にも住所変更を知らせなければ…。

郵送の意義

 「現住所」が記された免許証は当分届きそうもないので、銀行の担当者にメールした。「新住所での明細書は来月まで出ないので残高証明を出しましょう」と担当者。「添付じゃなくて郵送してね」と私。

 日本滞在中も「お役所仕事の融通の利かなさ」には泣かされたが、デジタル化が日本より遥かに進んだカナダで、郵送された「オリジナル」を求められるとは、思いもよらなかった。

 無事OHIPカードを入手した今となっては、些細なことだ。だがこの出来事は、私に「デジタル時代のオリジナル」について考える機会を与えてくれた。

デジタル社会の限界?

 職場でも私用でもPDFやスキャンコピーの添付によるやり取りが日常化した。大量の資料もデジタル化して保存し、オリジナルはシュレッダーにかけて廃棄する。契約書や同意書ですら、電子署名がほぼ完全に認められつつある。

 それほどのデジタル時代において「オリジナルを郵送する」という時代錯誤とも思える行為が「行政において重要視されている」という事実を知って、私はたいへん驚いた。

 デジタル社会の限界を見た気がした。

 30年暮らしたカナダをしばらく離れてみたおかげで、新たな角度から「時代」を眺める事ができた。デジタル文書が完全に市民権を得る時代は、はたして到来するのだろうか。


[1] その後、2020年秋頃には、日本出国前に再入国を申請した在留資格を持つ外国人は日本への入国を許されるようになったものの、カナダの感染状況やカナダ政府の厳しい感染予防措置を知って、「カナダ側の状況が落ち着くまでは」と、私たちは日本滞在を続けた。

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