根深いカナダの先住民問題
文・サンダース宮松敬子
墓標のない215人の先住民の子供の墓
今年の5月末BC州内陸部のKamloopsと言う町の近郊で、先住民の子供215人の墓標のない墓が見つかった。これは元Indian Residential School (以後IRS)のあった近くで、何十年もの間放置されたままになっていたものだが、中には3歳位の幼子の骨も発見された。このショッキングなニュースは、カナダ国内はもとより、世界のメディアの耳目を集めることとなった。

しかしこれはほんの氷山の一角で、その後東部寄りの二州Prince Edward IslandとNew Brunswickを除く全州(含3準州)の、昔設立されていたIRS近辺で、同じように置き去りにされている先住民(主に子供たち)の墓所が指摘され始めたのである。
関係者たちの間ではこの秘史/悲史は知られていたものの、残されている記録が少なく、また年月が経過していることから遺体を探すのは生易しい作業ではない。だがこの夏以降特別なレーダー探知機を使って、地上からそれらしき場所を探し当て発掘を開始をした。作業はまだまだ今後も続行される見通しで、何時終了するかの見当はつかない。
その最大の理由は、当時連邦政府の主導の下で運営されていたIRSは、現在完全に消滅しているため跡地が人手に渡っていることも多いため、正式な手順を踏んで発掘をするには、莫大な時間と費用が掛かるからである。少なく見積もっても、その数は3000体を下らないだろうと予測されている。
現連邦政府は、その掘り起こしに掛かる経費、生存者や関係者の家族たちに対する心的療法費、オタワにモニュメントを建設する予定の費用などを含め3憶2000万㌦を計上し、BC州も1億2000万㌦を「期限なしの助成金」とすることを約束した。
数ある先住民のグルーブは、遺体が発見されるたびに種族の儀式に則り手篤く弔っているとのことであるが、痛ましいカナダ史の負の部分を垣間見る思いである。
Indian Residential School (IRS)とは?
カナダにおける先住民問題は、よく米国の黒人問題と比較されるが、それは決して癒えることのない社会問題として火種が燻り続けているためである。
もともとカナダは先住民の暮らしていた土地だったが、16世紀半ばあたりからフランスやイギリスを中心とする欧州人が東部方面に入植し、英仏戦争などを経て1857年にオタワを首都に制定した。
その後1867年には、カナダ自領として連邦政府を成立させ「The Dominion of Canada」と呼ばれる政策を立案。その中に先住民に対する「Indian Act政策」を盛り込み、彼らの指導、教育、文化などは連邦政府が担う事にしたのである。(注:現在カナダでは「インディアン」と言う言葉は使わず「先住民」「ファーストネイションズ」を使用する)
その結果IRSを各地に建設し、先住民の子供たちすべてを強制的に親元から離し、寄宿舎生活をさせ、言語、文化、宗教など、彼らが拠り所とするアイデンティティを根こそぎ奪い白人社会に同化させる方針を貫いた。
1996年に最後のIRSが閉鎖されるまでに、在籍させられた子供たちの総数は15万人以上だったと言われている。連邦政府の指導の下に設立された学校ではあったが、実際の運営は主にカトリック宗派の神父や尼僧たちによって賄われていたのである。
ところがそのIRSの実情は多くが悲惨な状態だったようで、十分に食料は与えられず、時にはウジの湧いた食べ物が配膳されたり、体罰などは日常茶飯事に行われていたという。また病気になっても充分な医療ケアが受けられないこともしばしばで、亡くなった子供たちの遺体は家族の元に送られることもなく近くの墓地に埋葬された。その悲惨な結末が、今回のKamloopsの215もの子供の遺体の発見であったわけだ。
負の歴史を立て直そうと努力する政府
幼少期のこうした体験が、いまだにトラウマになっているシニアの生存者は決して少なくない。遥か昔ではあるものの、最初にこの政策の推進をしたJohn A Macdonald 初代首相を先住民たちは決して許そうとはしない。
その一例として、ビクトリア市の庁舎前に設置されていた彼の銅像を除去する運動を推進した。これには市民の間で大きな論争が巻き起こり、初代首相として彼が残した功績もあることから、賛否両論が渦巻きいまだに燻っている。しかし最終的に市は2017年に銅像除去の決定を下し、今はその理由が書かれた銅版が台座の上に置かれているのみである。
加えてビクトリア市内にあるBC Royal 博物館には、当州の歴史を示すディスプレイが施されており、来訪者はそこを通り抜けることで当時の雰囲気を感じられるようになっている。だがその一部が、白人が全権支配していた植民地時代の象徴を示すようで不適切と問題視され、1月には撤去されることになった。
人は踏まれた足の痛さはいつまでも覚えているものだが、一方踏んだ者は、その痛さを実感することは出来ないものなのである。
Truth &Reconciliation Day(真実と和解の日)
何事も賛否両論はあるものの、こうして一つ一つ問題を解決しようとする各レベルの政府の前向きな態度には称賛を送りたい。
一連の流れの中には、それまでスキャンダルが色々と取り沙汰されていた前カナダ総督が辞任し、初めて先住民のイヌイット出身者の女性Mary J. May Simon氏が、ジャスティン・トルードー首相の肝いりで選出された。
首相は先述の250人の子供の墓地がKamloopsで発見された時には、自分にも子供があることから、その痛ましさに痛恨の思いを込めた声明を発表した。
連邦政府は後日、今まで「Orange Shirt Day」と呼ばれIRSに送られ悲惨な目に遭った先住民たちに思いを馳せる日(9月30日)を「National Truth and Reconciliation Day(真実と和解の日)」と改名して国民祭日とし、公共の場に掲げられている旗を半旗にすることを決定した。
今年が初めてとなったその日は、全国的によく晴れ上がり、各州の町々で記念の祭典が繰り広げられたのである。

ところがこの日こともあろうにトルード―首相は、そうした祭典を一切無視して、政府のジェット機でBC州のバンクーバー島の西側にある風光明媚な観光地に乗り入れ、妻と共に海岸などを散策してホリデーを楽しんだのである。
これには先住民を元より、多くの国民から「今までの好意的な姿勢はただのみせかけだったのか!?」と大変なヒンシュクをかい、取り返しのつかない汚点を残してしまった。もちろんすぐに陳謝をし、次に行われたKamloopsでの行事に出席したものの、政府の要人たちにありがちな“口先だけの前向きな行為”と取られても仕方なく、何やら砂をかむような後味の悪い思いが残ってしまった。
今後の動き
IRSのサバイバーたちから当時の生活体験が次々に語られる中で、特に耳をふさぎたくなるような実話は、聖職者による幼児への性的暴行である。ビクトリア市庁舎前で行われた9月30日の祭典でも、その悪夢の体験を涙にむせびながら語る年老いた男性の話には、聴衆の間からため息が漏れもらい泣きする人もいた。
言うまでもなくすべての聖職者がそうであったわけではないのだが、多くの事例が明るみに出ており、人に語ることが出来ないこうした幼児体験は、一生のトラウマになる事が実証されている。
9月から10月にかけては、日を追って掲載されるこの手のニュースが増え続け、それに従って、カトリック教会が何者かに破壊されたり放火されたりという事件が相次ぎ世間を騒がせた。一方長年IRSで働いた経験のあるウィニペッグの某神父は「先住民たちは補償金欲しさに嘘の証言をしている。子供たちは楽しく暮らしていた。(悪意のあるニュースを流す)メディアは悪魔であり、(友愛結社)のフリーメイソンに属しているに違いない」と日曜日のミサの説教で言い放ったなどの記事も書かれ、一時は先住民関連のニュースがメディアに載らない日はなかった。 だが9月半ばには、カナダにおけるカトリック信徒の頂点にいる大司教が「IRSで起こったことに対し心より悔恨し謝罪する」との声明を発表した。
しかし先住民たちは、バチカンからフランシスコ教皇が来加して正式な謝罪をすることを要求しており、その交渉のためにIRSのサバイバー、先住民のリーダー、老若の代表者たちが、12月の半ばにバチカンを訪問する計画を立てている。
しかし12月初旬の現在、コロナウィルスの新型「オミクロン型」が急激に感染を拡大していることで、その計画が実行に移されるか否かは不透明である。
後記:
12月7日オタワ発:
Marc Miller先住民関係大臣は、長い間非難の対象になっていた連邦政府の国立文書局が保管しているIndian Residential School に関する記録を、30日以内にリリースすると発表した。それはかなりのボリュームで、12,000校ほど存在したと言われる学校の記録が保管されていると予測される。連邦政府が資金を出しカトリック教会に運営をゆだねた詳細の中には、経営した人々の管理の在り方、強制的に学校に送られた先住民の子供たちの数などの統計、虐待の記録も記されていると見る。
この約束は9月30日に全国でTruth and Reconciliation Dayを祝っている時に、トルードー首相はそれをまったく無視して、夫人と共に政府のジェット機で西海岸に飛び休暇を楽しんだ。その汚点を残した後に、Kamloopsでの先住民の集会に出席した首相が先住民のチーフたちに約束したものである。
12月8日オタワ発:
今年6月先住民のグループ代表達は、バチカンのフランシス教皇に面会し、カナダに来て正式な謝罪をすることを願い出る計画を立てた。10月には、予定は未定ながら、教皇もそれを厭わない見解を発表していた。
だがここに来てオミクロン変異株の問題が浮上したことで、この訪問が中止されたことを全国先住民協会のRoseAnne Archibald会長が発表した。