マスクと半コミュニケーション

文・広瀬直子

「ブルーマンデー」という表現がある。週末休んだ後に仕事に戻らねばならない月曜日の、あの気だるい、重い気持ちのことである。

私は大学で教えているが、オンライン授業の多かった2年間を経て、2カ月強の春休みを終えた私が、ほぼ全面的に対面授業に戻った今年の4月の腰は非常に重かった(本当に腰痛もこたえた)。それは教員だけではなくて学生も同じだったようで、いくつかの日本のメディアには、4月にすでに「五月病」のような、倦怠感ややる気のなさという症状を訴えている学生が多いという記事が掲載されていた。「ブルーマンデー」の巨大版、「ディープブルーマンデー」といったところか。

対面授業が「ディープブルーマンデー」から完全に解放されるには、まだ障害が残っている。大学構内で着用は義務だとされているマスクである。私が教えているコースは全て、30人程度の語学の授業なので学生との相互交流を大切にしているのだが、マスクをしている人の反応を目だけから読むのは難しい。微笑んでいることが目だけでわかる人もいるが、何を感じているのか、考えているのかさっぱりわからない人も多い。「目は口ほどのものを言う」の格言はあまり真実を付いていないことを思い知る。

Photo by Anna Shvets on Pexels.com

相手の反応がわかりにくいと、自身の対応が推測に基づくものとなり、授業がうまくできているという確信度も減る。なので「Do you understand?」と学生に訊く回数がとても増えた。

コロナ感染が少し落ち着いたとはいえ、教員も学生もこのマスクという「コミュニケーション阻害者」の存在により、まだ、かなり大きなハンディを背負っていると思う。全員が顔を全て出す授業より疲れるし、距離が縮まりにくいので楽しさも減る。

コロナ禍の前の欧米では、マスクをしていると怪しくて不気味な人だと思われていた。私もカナダに住んでいたころ、マスクをすることは全くなかった。しかし、この2年間でコロナ感染を防ぐためのマスク着用が欧米でも進み、人々の意識はガラっと変わっただろう。

コロナ菌だけでなく、風邪やインフルエンザに感染したくない、うつしたくない人も、上手にマスクを着用すべきだと思う。しかし、顔が半分見えないコミュニケーションは、社会動物である人間に本来向いていないことを心に留めておきたい。「Communications in English」という科目名の授業を担当しているが、マスク着用が義務である間は「About Half-Communications in English」に名前を変えたいぐらいだ。

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。