人種、民族と雇用の関係:カナダの苦い現実 by 空野優子(2013年6月)

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ヨーク大学キャンパス

先日、カナダの有力紙の一つであるGlobe&Mailに掲載された記事「‘Visible minority:’ A misleading concept that ought to be retired (ビジブル・マイノリティという誤解を招く表現は引退させるべし)」がちょっとした話題となった。今回は、この新聞記事のテーマであるカナダにおける人種と雇用の関係について考えてみたい。

ビジブル・マイノリティという用語は、カナダ政府の公式定義によると「白人でなく、先住民でもない人」を指す。この中にはアジア系、黒人、アラブ系などの人が含まれ、他民族国家のカナダでは全人口の19%、トロント市に限ると49%(2011年人口統計)がビジブル・マイノリティに相当する。

ビジブル・マイノリティは人口統計をはじめ、カナダの色々な社会政策において用いられるが、そのうちの一つが雇用促進に関するものである。たとえば、カナダの雇用機会均等を目指す法律Employment Equity Actは、不平等の是正が必要な4つのグループの一つとしてビジブル・マイノリティを規定している。(ちなみにその他の3つのグループは、女性、先住民、そして障がいのある人である。)この法律によって、連邦政府と政府関連機関は、ビジブル・マイノリティを積極的に採用する努力義務を負っている。

IMG_0583移民を広く受け入れ、多文化主義を公式政策として採用するカナダでも、人種差別はいろいろな形で現れる。特に貧富の差に直結する所得の格差は見逃せない課題である。たとえば、フルタイムで働く白人男性の平均年収は約6万6000ドル(白人女性4万6000ドル)なのに対し、非白人男性の平均は5万ドル(非白人女性3万9000ドル)と、格差は大きい。この現実の中で、ビジブル・マイノリティの地位向上を目指すことは重要である。

新聞記事に話を戻すと、著者のフランシス・ウォーリーは、このビジブル・マイノリティという用語は今後廃止すべきだと論ずる。

歴史的に積み上げられた不平等の是正を目的に使われるこの用語、何が問題なのだろう。

まず一つはビジブル・マイノリティという言葉自体の問題である。「ビジブル」とは「視覚的に、目に見えて」、を意味し、白人多数の社会で白人を基準にして「見た目が白人と異なる少数者」と呼ぶのは差別的、と言うわけである。

第二に、このビジブル・マイノリティというグループ自体が多様な人種・民族を含み、そのグループ間の差を考慮しないため、雇用機会の促進を目指すための概念としては不適切、という批判である。

一口にビジブル・マイノリティといっても、たとえば日系カナダ人に限れば、白人カナダ人の平均所得を上回る。そして、同じ人種・民族でも、一世移民は概して低所得であるが、その子どもたち、二世以降の所得状況は一世と比べてはるかに改善される。(それでもカナダ生まれの非白人の所得は、同じ教育レベルのカナダ生まれの白人の所得と比べると10-20%ほど低い。)

このような状況を考えれば、非白人をビジブル・マイノリティとしてひとまとめに括るより、実際に差別是正が必要なグループ・民族に焦点を当てることも提案されている。

個人的には、このビジブル・マイノリティと言う言葉、確かに差別的、と言うか白人中心的な名づけだと思うし、別の適切な言葉に取り替えることは考えるべきだと思う。一方で、歴史的に白人(男性)が優位に立ってきた状況を改善するために、非白人というカテゴリーを使い続けるのは意味があると思う。

たとえば、私は大学に勤務しているが、学生の人種構成はとても多様なのに対して、教授、職員のほうは地位が上がるほど白人の占める割合が高い。この状況に対して、東アジア系、インド系、黒人系、アラブ系、、、と分けて別々に支援するよりも、非白人というカテゴリーでもって、全てのグループの地位向上に向けて努力するほうが効果的だと思うのである。

移民の大多数が非ヨーロッパからやってくるカナダで、“ビジブル・マイノリティ”の人口比率が増していくのは間違いない。これから人種間の格差の是正にどう取り込んでいくのか見守っていきたい。

参考:「オンタリオの格差の拡大:ジェンダーと人種の役割」by Sheila Block (英文)

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