たかが名前、されど名前
本年からG8のメンバーとなった。自己紹介がてら、私の苗字の説明から始めてみたい。
Morgensternはドイツ人の夫の姓で、日本語表記にすると慣例としては「モルゲンシュテルン」となる。ただしこれはいわゆるカタカナ独語で、発音は絶対にモルゲンシュテルンではないと思う(あえてカタカナにするなら「モアゲンシュテアン」だろう)。戸籍の表記はごちゃごちゃ言わず慣例どおりにしたが、英語での仕事が多い私は、「モーゲンスタン」と英語読みで名乗っている。
Morgenstern(英語でmorning star)は「朝の星、明星」という意味なので、「明星陽子」とまるで宝塚のような名前になるのだが、実は、アニメのフリントストーンにでも出てきそうな、鉄球にトゲトゲのついた原始的な武器もMorgensternと呼ばれる。このことはドイツ人にも意外と知られておらず、だからよく「すてきな名前ですね」と言われることがあるが、実はすてきでもなんでもないのだ。
Morgenstern姓はユダヤ系の人々に多いようなのだが、我が家はその限りではない。また、比較的めずらしい姓だからか、どこぞのMorgensternさんから苗字つながりでSNSのお友だちリクエストが来たりするからおもしろい。
旧姓は長野という。長野陽子である。自分で言うのもなんだが、いまひとつパッとしない。事実、ママ友のひとりが言葉を選び選び、「うーん、陽子さんのイメージにぜんぜん合わないわねぇ」と感想を述べたこともある。
その真意ははかりかねるが、言いたいことは分かる気がする。「ながの・ようこ」と3文字3文字だからだろうか。姓名ともに下降調で終わるからだろうか。この名にも、この名で生きた人生にも、そしてこの名の由来 — 父方の家族 — にもあまり愛着のなかった私は、夫の希望もあってMorgenstern姓を名乗ることにした。
特別気に入っているわけではない。まず、変な芸人みたいでうさんくさい。最近流行のハーフタレントの真似と思われるのもいやだ(しかもこんなおばさんの分際で)。英語圏での出版物はもうこの名で出てしまっているのでどうしようもないが、日本での出版を機に、「結婚してこうなった」ということがはっきりと分かるように、「長野モーゲンスタン陽子」にしようかとも考えた。
しかしここでまた問題が発生。私の両親は仲が悪い。そしてそれぞれが、娘の文才は自分の家系から来ていると思っているので、父方の家族に花を持たせるわけにはいかないのだ。「長野モーゲンスタン」案にあからさまにいやな顔をする母を目の前に、潔くモーゲンスタンを貫くことに決めた。
そう、好むと好まざると、この名は私が「選んだ」あるいは「決めた」名前なのだ。そして、大学卒業までを親に生かされていたとするなら、大人になって自分の力で生きた最初の10年と、その後この名で生きた10数年では、あきらかに後者のほうが濃い。私はこの名で母になり、作家になったのだから。
だから、今後一生名を変えることはしまいと、離婚についての話し合いを進めている今も思っている。例えが偉大すぎて恐縮だが、かのアリス・マンローも一人めの夫のマンロー姓を貫いている。名を変えるのは一度で十分ということだ。
さて、名は自分で決められるものというのはしかし、新鮮な驚きだった。日本で生まれ育ったからか、名前とはなんとなく「与えられるもの」と、受身でとらえていたからだ。しかし北米は違うのかもしれない。
次男のレナードがカナダのJK(Junior Kindergarten幼稚園の年少)に入園したとき、事前面接があった。アリソン先生と握手を交わし席に着くと、先生は手元の書類に目を落とし、「あら」とつぶやいた。「レニーのほうがいいのね」
そういえば、入園の書類に「本名」と「希望の名前」という欄があり、「レニー」と書いた気がする。
「全部レナードでラベルを貼っちゃったわ、私」と、アリソン先生。「ごめんなさいね、入園までには全部直しますから」
JKのクラスルームでは、子供たちの利用する靴箱やカゴ、フック、書類立てなどのすべてに名札が貼られている。それらをすべて張り替える手間もさることながら、貧乏性の私はマテリアルがもったいないと思い、「いいですよ、このままで」と言った。
ところがアリソン先生の返事は、「いいえ、こういうことは大事ですから」だった。
一方、現在暮らすドイツの学校では、なにがなんでも本名が使われる。親が「レニー」と言ってみたところで受け入れてはもらえない。ロッテンマイヤーさんが愛称を使うことを頑なに拒み、ハイジをアーデルハイドと呼び続けた所以を垣間見る気がした。かくしてドイツの学校に編入した次男は突然、親にも呼ばれたことのない名で呼ばれることとなった。
私は欧州より北米のほうが断然暮らしやすいと思っているのだが、その理由を説明するならこの「チョイスのある社会」という一言に尽きると思う。
それについては、また今度。