日本人はなぜ「小走り」するのか

文・嘉納もも・ポドルスキー

5月2日付で我らがグループ・オブ・エイトの鈴木典子さんが、当サイトに「東京とトロント、ここが違う」というタイトルの記事を執筆している。それにちなんで、私が日本とカナダを比較した際に考え付き、ずっと温めてきた持論を展開したいと思う。

私はカナダに来てこの夏で29年になる。その間、正確に「いつ」だったかはっきりとした記憶はないが、トロント市内でも郊外でも、道を行く人々の中に走っている姿があまり見られないことに気づいた。

kobashiri2一方、私は道路を横断している間に信号が黄色に変わったといっては走り出し、電車に乗り遅れそうになると駅の構内で走り出し、スーパーで買い忘れをしたと気づいては駐車場から走って引き返し、何かとドタバタとしているのである。

いや、上に挙げたような状況であれば、カナダにも走る人はたまにいる。だが職場ではついぞ走っている人を見たことがない。

私は現在、トロント大学のエスニシティ学研究科で働いているが、我々の主催しているイベントでは時として予想外の出来事が起こる。そうなると対応に追われた私は自然と小走りになるのだが、同僚や学生たちは多少、動きが速くなっても走るには至らない。こちらが見ていて「何を悠長に」と苛立つほど落ち着いて見える。

(念のためにお断りしておくが、私の職場には様々な文化的・人種的バックグラウンドを持った人々がいる。その中でも仕事中、走る人はほぼ皆無なのである。)

よくよく不思議に思って周りの日本人に意見を聞いてみると、皆が皆、「自分だったら同じように走る、とまではいかなくても小走りになると思う」と言ってくれた。

そのようなことを念頭において日本に帰った際に人々の振る舞いを見ていると、まあ走る走る。

デパートでもホテルでも、郵便局でも銀行でも、ほんのわずかな距離だというのにそこで働いている人たちはツツツーッと爪先立ちになり、脇を閉めて、慌ただしく動き回っている。大股で歩けばおそらく目的の場所に着くまでほぼ間違いなく、同じ時間しかかからないだろう。だがそれでも小走りをする人が圧倒的に多い。

靴を買って清算をしようと思ったら、店員が「ここにお座りください、レジに行ってまいります」と言って、私の渡したお金とデパートのお得意様カードを持って小走りで走り去り、また小走りで戻って来た。

銀行の窓口でちょっとした問い合わせをすると、職員は「申し訳ございません、担当の者に聞いてまいります」と、これまた小走りで奥の方に引っ込んでしまった。戻って来る時ももちろん、小走りである。

カナダで同じような状況であったなら、店員も銀行員も決して走らなかっただろうと思う。

そこで自分の行動と照らし合わせてみると、これはおそらく

「私は一生懸命、任務を果たしています」

という意味合いをもった日本人独特の「パフォーマンス」なのだろうという結論に達する。

見ている人(=お客)がいればもちろんのこと、いなくても小走りをするのは自分自身への言い聞かせでもあるからだろうか。

日本でもエライ人はあまり小走りをしない。となるとこの動作はある状況において、地位の低い者が高い者に対してのみ、披露するパフォーマンスなのだろうか。

いずれにしても、少しの時間でも惜しんでなるべく迅速に成果を出そうとする真面目な態度が日本人には美徳とされ、小走りという動作で表現されているのではないかと私は思うのである。

ただ、もう少し掘り下げると、どうせ早く移動することが目的ならばなぜ全力疾走ではなく「わざわざ」小走りなのか、という疑問も沸いてくる。

昔の日本人は着物を着ていたから(特に女性は)物理的にあまり大股では走れず、小走りの方が慎ましやかに見えた。だからその所作が現代にも受け継がれているのだろうか。

あるいは歩幅が狭く歩数が多い方がより「慌てている・急いでいる」という状態を表すのに効果的だからだろうか。

考え出したらきりがないが、とにかく私のごく私的な考察を読んですぐに幾つかの情景が目に浮かんだ方々も多いのではないかと推測する。

では次は、なぜ日本人はしばしば「唇を尖らせて口先で物を言う」のか、についてぜひご一緒に考えたい。

比較文化の観点からの人間ウオッチングは限りなく、面白いのである。

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。