トロント国際映画祭・TIFF
文・ケートリン・グリフィス
トロントの9月と言えば映画祭。街をあげてのお祭りの一つで、普段なかなか見れないような海外の作品やこのTIFF(トロント国際映画祭)で初上映される映画を楽しみに赴く人たちと世界各国から来るスターを一目見ようと来る野次馬でダウンタウンは賑わう。プレミアムや超人気作を除けば、チケットの入手が容易だし気軽に楽しめる映画祭である。
今年は9月10日に物書きグループ、グループ・オブ・エイト(G8)のメンバーと共にスペシャル・プレゼンテーション作品「怒り」(英語訳“Rage”)を鑑賞した。
由緒あるElgin劇場で李相日監督、出演の渡辺謙と宮崎あおいも舞台挨拶をするといった贅沢なひと時であった。そして、わがG8メンバーの一人である 嘉納もも・ポドルスキーさんも、通訳として役者さんの横でかっこよく仕事をこなしていた。
「怒り」というタイトルと予告から、殺人事件を巡ってのミステリー映画だろうと思っていたのでさほどの期待はしていなかった。ただ、ももさんの晴れ姿と役者さんをみたいというミーハー心で行くことにしたのが正直なところ。
でも実際は考えていたものと大きく違った。殺人ミステリーは確かにストーリーの核だが、それを軸に現代日本社会の暗い、醜いところが渦巻のように描かれ、重みがあり過ぎて感情が混乱するほどであった。
その中に笑いもあったが、いろいろな愛の形、そして沖縄の米軍基地問題など無視してはならない問題が積み重なった映画で、その夜なかなか寝付けなかった。最後にミステリーは解決したが、「怒り」を生み出してしまった現代社会は未解決のままに幕は下りたように私は思った。だが終わったと同時に会場から沸き上がった拍手とスタンディング・オベーションから分かるように実によくできた映画であり、見るに値する作品である。
これ以上の感想はプロの映画評論家に任せるとして、映画上映の前後の様子について語りたいと思う。
Elgin劇場はトロントのダウンタウンのヤング・ストリートに面している。地下鉄から上がって行くと、開演一時間前にもかかわらず長い列がすでにあり、テレビでオスカーとかを見るときのように、スターが劇場に入っていく姿をみようと柵ごしに待っている人たちが大勢いたのには驚いた。チケットは自由席なので(一階席か二階席の区別はあるが)ようは早いもの勝ち。私たちは幸運にも特等席にありつけた。でもまさか、ゲストが真横を通るような席とは想像していなかった。
映画が終わり、G8の仲間と、宮崎あおいさんは「妖精のようにきれいだった」だの、渡辺謙さんと李監督の「英語力がすごかった」とか。例えば、渡辺謙さんが何度か監督に対して“It’s his fault” 「彼のせいだ」と言ったのだが、その間の取り方が上手で、その一言だけで会場を笑いに導いていた。監督も彼もやはり舞台慣れしているからだろう。
などなど、映画の内容とは別に映画祭だからこそ楽しめた事柄などを肴に、ビールを飲みながら共感したり議論したりの素敵な一夜となった。
もちろん、G8メンバーであるももさんの活躍ぶりも話題になった。通訳として舞台に立つのは知っていたが、映画が終わってからも劇場の外でカメラマンと一緒に観客の様子や感想を集める作業に没頭。TIFF関連者も大変であることを改めて実感した。
そもそも私は、TIFFがTIFFになる前からトロントに住んでいて、大学生のころのトロント映画祭は今から比べると実にかわいらしいものであった。大学がたまたま当時の映画祭付近だったこともあり、気軽にその日に面白そうな映画があったら立ち寄ってみたり、道端でスターを見かけたら「あ、そうか、映画祭の時期か」と思い出したり、と、今のように盛大では決してなかった。
一回でもボランティアをしたら、すべての映画鑑賞パスがもらえた時期もあった。今では考えられないような計らいである。それがいつのまにか、映画祭専用のビルが建つくらい立派(?)になった。トロントの大通りを車両通行禁止にするくらい大きくなったこのTIFFだが「怒り」を観に来ていた人たちのほとんどは普段着で、そこだけは昔から変わらない。
今後とも手の届く映画祭であって欲しい。