異質なものと共存できる未来 <1>日本人らしさ、カナダ人らしさって何?

文・三船純子

カナダから日本に戻る際の自分の心象の微妙な変化を、ここ数回の帰国で強く意識するようになった。周りの日本からの長期移住者には、一人で帰国する人は勿論、子どもやパートナーと一緒に夏休みなどの長期休暇を利用して日本の家族と時間を過ごすために、または親などの高齢化に伴う介護や死亡後の処理などに対応するために戻る人も少なくない。

どのような理由があって一時帰国するとしても、「あぁ、やっぱり日本はいいな」と母国の居心地の良さに癒されて、こちらへ戻ってしばらくはホームシックならぬ日本シックにかかる人は私だけではないようだ。

それでいて、日本滞在を満喫した後、日常生活に戻るべくトロントの空港に戻り、「あぁ、帰ってきた」とホッとしている自分に気づき、自分の居場所が日本ではなくなっていることを、ちょっと寂しく感じるようになってきている。また、日本へ帰国するたびに、海外からの観光客が楽しむであろうことをどんどん求めるようになり、カナダ生活では経験できない日本の良さに感動し感嘆し、トロントに戻ってきてから周りの人に日本の素晴らしさを豪語していたりする。

自分の人生の半分以上を日本の外で暮らしてきたのだから、自分が外国人観光客化してきていることは、ある程度仕方がないことなのかもしれない。私の場合は、アメリカのミシガンに12年とカナダのトロントに17年、かれこれ28年間北米で暮らしてきたことになり、自分がどうあがいてみても、暦とした長期海外移住者・移民、言い換えれば、ちょっと異質な日本人になってきているはずだから。日本に帰ると、自分が回りの日本人にどう見られているのかということが、ちょっと気になってしまう。

去年の秋に日本へ帰国した際に、飛行機で隣に座った女性のことを、その方の振舞いや服装から、カナダで生まれ育った日系カナダ人に違いないと初めは思っていた。数時間後に、その女性が私と同様にカナダの長期移住者で、私よりも頻繁に日本に帰国していて日本のことも私などより数段に把握されていることを知った。自分ではまだ日本で育んだ日本人らしさを充分に醸し出しているつもりでも、本人がそう思っているだけで、私自身の外見の日本人らしさも、どんどん薄れてきているのだろうなと思ったりした。

ところが17年住んでいるカナダでは、所謂カナダ生まれのカナダ人にとっては、私はいつまで経ってもちょっと異質なカナダ人と位置づけされていうように感じる。200もの民族的背景を持った人々が、公用語である英語とフランス語以外の140種類の言語を話す多文化都市と云われるトロントでは、日常生活を送るに当たり、あからさまな差別を受けると感じることはなくても、自分がカナダ生まれのカナダ人、特に白人のカナダ人とは違う位置づけにあると感じざるを得ないこともなくはない。

それはほんの75年ほど前の大戦時に、適性国民である日本人とカナダ生まれの日系人は、危険な隔離されるべき民族グループであるという理由から、所有地家屋や家財を没収され、家族も男女に引き裂かれて、過疎地収容所に送られたというカナダの歴史と無関係ではないはずだ。生存者が急速に少なくなってきている日系カナダ人のシニアの方々の収容経験は、テロリストと同じ国の出身だからという理由で入国を拒否されてしまうアメリカの現状と繋がっているように感じてしまう。

選挙権がほしくてカナダ人になっても、日本語のアクセントのある英語を話し、アジア系の顔をしているとカナダ人に、「どこから来たの?」と聞かれることはこれからも続くのだろう。カナダの良識人は、「どこから来たのか(どこの国の出身か)」という差別的とされている質問を、あからさまにたずねることはなく、トロントには何年住んでいるかの確認から始まる会話の流れで、とても注意深く聞かれることが多い。外国人のアクセントを聞き慣れている人だと、私の英語のアクセントや見かけや名前から日本人であろうと推測されていたことも多々ある。また、外観や話し方や性格も全く違う、カナダ生まれの韓国系や中国系の同僚に間違われることも結構あり、アジア系の私達の区別がつきにくいのだろうと、同僚同士で苦笑いしている。

ミス・ユニバースの存在の是非についてはさておき、2015年にミス・ユニバースの日本代表になった宮本エリアナさんは、周りに受け入れられないことを理由に命を絶ったハーフの友人のためにも何かをしたいと、応募したのだそうだ。「日本人っぽさがない」「なんでブラックが日本代表?」という批判をたくさん受けることを覚悟でコンテストに応募をし、ミスに選ばれた後は取材の度に、彼女にとっての「日本人らしさ」とは何なのかを、何度も繰り返し聞かれたのだそうだ。見た目が日本人らしくないことによる偏見をたくさん経験してきたのだろう。自分とは違う異質なものを偏見や悪意から卑下したり排除するのではなく、外見や出身国や民族やその他の要素だけで判断することなく、お互いの違いを理解していくことで、異質なものとの共存も可能になっていくはずだと願いたいが、今のアメリカなどの動向を見る限り、これは容易いことではないかもしれない。

私はこれからも日本に行く際には、日本へ旅行するではなくて、日本へ帰国すると言い、自分の本拠地であるカナダに戻ってきて、ほっとするのだろう。そして私の海外からの観光客化はさらに進み、日本人らしさが薄れたちょっと異質な日本人として、日本に滞在することになるのだろう。それはそれでしょうがないことだし、ちょっと異質であることを誇りに思いたいが、そういうことをこうして文章にして気にしている自分が、なんだかとても日本人的なような気もしている。

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