国際結婚四半世紀から得た教訓
文・嘉納もも・ポドルスキー
国際結婚をしている夫婦にとって、コミュニケーションに使う言語をめぐってのいざこざは避けられないものだ。
日々の会話のために中立的な言語、つまり双方にとっての「外国語」を使うケースもあるだろうが、おおかたは妻か夫か、どちらかの母語が共通の言語となる。すると必然的に、妻か夫のどちらかが母語ではない言語を駆使してコミュニケーションを図ることになる。
その不均等が引き起こす問題は些細なものから深刻なものまで、多岐にわたる。だがそれらをコミュニケーションの「越えがたき障害」とみなすか、あるいは「学びの機会」と捉えるかで、その後の人間関係は大きく変わって来るのも事実である。
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今年で結婚二十九年目を迎える夫のMと私の間では、出会い以来、会話はずっと英語である。私がカナダに留学をしに来て、カナダで彼と出会っているのだから、最初は当然だろう。Mは日本語が話せなかったし、私はネイティブ並みとは言えないまでも英語に不自由がなかったので、英語を共通語とするのが一番、効率的だったのだ。それがそのまま、今日に至っている。
思い返せば、私の側からすると著しく不公平である、と感じた場面は数えきれないほどあった。日常生活の上では大した支障もないが、込み入った話題になったり、喧嘩などで感情がたかぶったりすると、英語で自分の言いたいことが100%は言い切れず、もどかしさに悔し涙がこみあげる。おまけに理数系が専門である上に無頼の読書家でもあるMは、語彙が豊富で弁が立つと来ている。そんな彼を相手に英語では全く勝ち目がないとなると、腹立ちまぎれに「日本語で喋ったらどうよ!」と叫んだことも二度や三度ではない。(これと同じ様な場面はおそらく多くの国際結婚家庭で繰り広げられているだろうと推測する。)
しかも私の場合、苛立ちを感じるのは言い争っている時とは限らなかった。ごく平和に二人で犬の散歩をしていて、私が意気揚々と職場であったことや新聞で読んだことをMに報告しようとすると、「今のセンテンス、幾つも”he”(彼)という人が出て来て、紛らわしい。ちゃんと名前を言わないと主語が誰だか分からない」とか、「“They said”って無責任に言うけど、そのthey って誰のこと?言いっぱなしはダメだろ」とか、「その単語を発音する時、どうしていつも第一音節じゃなくて第二音節を強調するかなあ」などと指摘される。それでとたんに勢いがそがれてしまって話を続けたくなくなるのだ。
たかが世間話だというのに、どうしてそこまで文法も発音も正確にして、内容も明白にしなくてはならないのか。学校じゃあるまいし、そこまで厳しく直される必要があるのか、と思いつつも、いつの間にか注意されないように気を付けて話す癖がついた。(私は生来、お喋りなので、引っ込み思案になる、という選択肢がなかったとも言える。)その結果、確かに自分でも英語は上達したと感じられたが、不公平感はずっとついて回った。努力しているのはいつも私で、あなた(M)は自分の母語で優位に立ってるだけじゃん、と。
ところがそんな心境にも変化が訪れた。二年前(そう、たった二年前!)にトロントの国際映画祭でかなり有名な日本の映画監督の通訳を担当することになり、真夜中のプレミア上映には千人を超える観客が集まると聞いた時である。映画祭の主催者や監督と大劇場の壇上に並び、日本語から英語への訳を即興で、テンポよく、ウィットの富んだ様子で提供しなければいけない。たいていのことではアガラない私でもさすがに腰が引ける様な状況だ。
「どうしよう、舞台で大恥かいたら。だって英語から日本語への訳ならまだしも、逆だよ?英語が第一言語じゃないのに」と怖気づく私に対して、Mがかけた言葉はこうだった:
「結婚してから二十七年間も毎日、この俺のスパルタ教育で鍛えられたんだから、大丈夫。絶対にできる。」
妙に説得力があり、それで一気に自信がついた。
プレミアの当日、Mは友達夫妻と観客席の前の方に陣取り、私の通訳を見守ってくれた。そして無事に舞台挨拶や質疑応答が終わると、いつもはどちらかというとクールで皮肉屋な彼が、興奮気味に、手放しで褒めてくれた。実は彼もちょっと緊張していたのかも知れない、と分かってよけいに嬉しかった。
この経験をしてから、ゲンキンと言われるかも知れないが、私は夫に英語を注意されてもあまり腹が立たなくなった。意地悪で言われているのではなく、単に間違っているものを是正する機会を与えられているのだと思えば良い。そう考えるようになったのだ。
読者の皆さんは私だけが我慢をしなくてもよいのに、と思われるだろうか。
Mさんだって日本語を勉強したらいいじゃないか、と。
だが現実問題として、コミュニケーションはなるべく効率的で、かつ質の高いものの方が心地よい。夫には言語とは別の側面で、何らかの妥協をしてもらうことでつり合いが取れれば良い、と今では思っている。
この心境に到達するまで四半世紀以上かかったが、私はこれからも犬の散歩のたびに、英会話の特訓を受けるつもりである。