異質なものと共存できる未来 <2>変わりうるステータス

文・三船純子

子どもの頃、自分の顔立ちや髪の色から、「外国人」とか「ハーフ」などとからかわれることが多かった。今思うと、それは所謂「いじめ」の領域ではなかったのかもしれないが、幼い頃の私にとっては、自分の外見が友達とは違う、からかいの対象になる異質なものであるらしいという認識があった。

それは否定的な嫌な思い出として、私の心の中に残されていたので、大人になったら、茶色いと言われる髪を日本人らしい黒髪に染めて、大きいとからかわれる目をメイクや整形手術で、細長の日本人らしい目に変えようと本気で思っていた。両親は日本国籍を持った日本人だったので、私の場合は「ハーフのように見えた」だけで、本物のハーフではなかったので、激しいいじめの対象にはならなかったのかもしれない。

そんな経験からか、今でもハーフだという理由でいじめられた経験を聞くと、ちょっと身につまされる気持ちになる。年を重ねるにつれて、昔のからかいの言葉には、時には肯定的な意味合いもあったと理解できるようにはなったけれど、子どもの頃の私には、男の子にしつこくからかわれたり追い掛け回されたりするのは、嫌な思い出以外の何物でもなかった。

ソース:http://hafu2hafu.org/

実は今でも「ハーフですか?」とか「日本人ですか?」とよく聞かれる。それは日本でもカナダでも、日本人からの質問であることがほとんどだ。先日も日本から来た大学生グループの学生達に「日本人ですか?」と聞かれ、「ハーフなのかと思いました」と言われた。昨今は、若者がカラー・コンタクトなるものを装着し、若い頃から髪を明るい色に染めることは珍しいことではないらしいし、彼らのその後に続く言葉から、それが好意的なコメントだとはわかっている。中年になった私には、それらの問いかけが否定的なこととして認識されてはいないが、その質問をされる度に、今でも自分はやはり日本人にとっては少し異質なものに見えるらしいと再認識をせざるをえない。

カナダ生まれカナダ育ちのカナダ人にこの経験を伝えても、あまりよく理解してもらえないことが多い。カナダ人にとって、私は日本から来てカナダに住んでいる、アジア人の移民として認識されている。これだけ多様な人種が共存している社会では、私の「日本人からするとちょっとハーフっぽい」くらいの外観は、特筆に値することではないらしい。

私の周りにも、世界各国の出身者がおり、先祖がどの民族系であるか誇りを思っている人も多く、世界各地の国籍や民族が入り混じったカップルや家族、日本人と多人種多民族との融合家族がたくさんいる。「ハーフ」や「クウォーター」(四分の一)どころかそれ以上のミックス・レースの人も大勢だ。

ソース:https://www.thestar.com/content/dam/thestar/opinion/commentary/2016/10/12/how-angus-reid-cbc-got-it-wrong-about-multiculturalism/fwu6xqz2.jpg.size.custom.crop.1086×725.jpg

アメリカやカナダでは日本人や日系カナダ人は、正真正銘のマイノリティーだ。日本からアメリカのミシガン州に移住したばかりの頃に、自分が英語を流暢に話せないアジア系のマイノリティーの女性であるという現実に直面した。そして恥ずかしながら、その時に初めて、日本のマイノリティーの存在に興味を覚えて、大学のアジア図書館にあったその関連の本を読み漁った。在日韓国人や中国人、部落出身と呼ばれる人々、ハーフ、帰国子女、セクシャルマイノリティー、低所得、障害者、その他、マジョリティーではないことや、こじつけの理由でいじめられる立場にいる子供や大人の存在を、自分自身がマイノリティーになってからやっと認識できるようになり、興味を持つようになったのだった。

日本からアメリカ経由でカナダに移住して来た私が、現在トロントという大都会で仕事をしながら生活している。自分なりの生活を楽しむ機会を与えてくれているカナダという国に感謝しながら、カナダがアメリカのように歴史が逆行しているのではと思われるような方向に進んでいって欲しくないと心から願う。不透明で不安な将来や社会情勢に、自分を守るための思考や政策の保守化が進んでいるのは、アメリカだけではないと感じる。

カナダに居ても日本に居ても、他の国を旅していても、自分の立ち位置に違和感や疎外感を感じることがあるが、それが区別される待遇であるのなら受け入れられるけれど、差別される待遇であってはならないと思う。区別が差別になってしまわないためには、自分とは異質な素質や外観やバックグラウンドを持つ人を理解しようという意識を培っていく姿勢が大事ではないだろうか。立場が違うと経験が違うから、意識や意見も変わってくる。

悩みを抱えた方、または様々な事情から助けを必要としている方に関わる仕事をしていると、人生の明暗はほんとうに紙一重で、誰にでも思いもよらない状況へ追い込まれる可能性があり、個人の希望や心持ちとは正反対の方向へ人生が進むことは少なくないと思う。住む場所や事情が変われば、社会的に恵まれた環境から、そうでない環境へ身を置かざるを得なくなることは、決して稀なことではない。

自分とは違う存在に批判的な目を向けることは容易いが、異質な存在を意識的に理解しようとすること、これは自分にも言い聞かせているが、決して容易いことではない。しかし、私たち自身の中にある先入観や差別意識を自覚し、自分とは異質な存在を理解しようとする姿勢は、差別やいじめやハラスメントをなくしていくためのスタート地点であり、異質でユニークな存在が共存できる社会造るための、私たち一人一人の責任だと思う。相手にとって異質な存在である自分を、相手に理解してもらうためにも、自分とは違う考え方をしている相手を理解しようとすることは、難しいが不可能ではないと信じたい。

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