浅田真央選手の引退に思う

文・サンダース宮松敬子

4月12日にインターネットで、日本のフィギュアスケーター浅田真央選手の引退記者会見を見た。

白と黒でスッキリとまとめた清楚ないで立ち、襟足できりりと結んだ髪型、薄化粧をほどこした明るい笑顔・・・。知らぬ人のいないあの「真央スマイル」を絶やさずに、一言一言言葉を選びながら質問に答える真摯な態度。まさに国民的ヒロインとして10余年脚光を浴び続けて来た選手の幕引きに相応しい「非の打ち所がない」ものであった、と評価は高かったようだ。

40分にもわたる長い会見であったにもかかわらず、終止控え目でありながら芯の強さをにじませ、最後には思い余って涙を見せたものの、後ろ向きになって涙顔を見せまいとする健気さが、これまた受けて、もらい泣きした視聴者も多かったとか。

私はスポーツにはトンと興味のない人間のため(と言うと、周りから時には驚きの目で見られることもあるのだが・・・)、フィギュアスケートはおろか、イチローの活躍さえも知らないスポーツ音痴である。そのため外国生活をしていても、或いは、特別に気にしなくても、自然と耳に入って来る試合のスコアや結果など以外には、どの国のどの競技においてもヒーロー、ヒロインの活躍振りを知らない。

とは言え、2010年にカナダの西海岸バンクーバーで開催された冬季オリンピックは、同じ国内であったため、当時自分が住んでいたトロントとの時差が3時間あることを計算し、フィギュアスケート競技に見入ったのを覚えている。

しかしその時、素人の私でさえつくづく圧倒されたのは、銀賞の真央選手と金賞を取った韓国のキム・ヨナ選手との「成熟度の落差」であった。同年齢であるとは信じられない思いが何度もしたものだ。

好むと好まざるとに関わらず、フィギュアスケートは他の多くのスポーツと違って、観客をいろいろな意味で「魅了」しなければならない。もちろん真央選手は難度の高いトリプルジャンプを正確かつ完璧にこなしたものの、キム・ヨナ選手の持つオーラと比べれば、まるで「子供が一生懸滑っている」との域を出ることは出来なかった。

その事を自称「スケートオタク」の友人に話したところ「日本人は『清廉』というのが好きで、公の場では『華』や『艶』を感じさせる人は余り好まれないのだ」と言われた。加えて「日本人は『一生懸命』と言うのが好きなのよ」とも。

、時期を逸した感のある今頃の引退も、「悔いなく選手生活をやり通した」というコーテイングされた言葉にほだされて「真央ちゃんコール」が止まらないのだと言う。

関連して思うのは、日本人のピアニストやバイオリニストに対する世界的評価である。彼らは何処に出しても決して恥ずかしくない正確な演奏は出来るのだが、「情緒」「深淵さ」「大胆さ」などに今いち欠けるきらいがあると言われることが多い。

真央選手にも一脈通じるものを感じ、「日本(女性)人の成熟度」の尺度は、一体何処にあるのかとツラツラと考えさせられた会見後の回想である。

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。