ドラッグ乱用危機に市民参加で対応
文・三船純子
二年前に日本で目にしたテレビ番組で、医療用大麻の合法化を訴え参院選にも立候補した元女優が大麻取締法違反の疑いで逮捕される様子が、彼女の経歴や私生活と共にスキャンダラスに報道されていた。カナダはこれから大麻が合法化されようとしていることもあり、複雑な気持ちでその報道を見た。
日本とカナダでは薬物に関する規制や法律が違い、人々の意識と理解もだいぶ違っている。
この違いは日加の病気や怪我による疼痛管理(Pain Management)のアプローチにも見られると思う。医療に関し学術的専門知識はない一個人として感じるのは、カナダでは体の痛みには鎮痛剤で対応し、痛みの原因になる体の故障には手術を、ということが至極頻繁に行われるようだということ。私の周りのシニアには、肩や膝や股関節を手術した人が驚くほど沢山いる。そのような手術や歯科治療の後で、鎮痛薬を処方されることが多いが、その鎮痛薬がオピオイド系鎮痛薬、いわゆる医療系麻薬なのである。
そんなカナダのバンクーバーでのオピオイド系薬物中毒事故死の急増がここ数年ニュースをにぎわせていたが、このオピオイド乱用危機(Opioid Crisis)がトロントでも頻繁にニュースになるようになったのは去年あたりからだ。オピオイド(Opioid)とはケシから合成された薬物で、鎮痛や陶酔作用があり、身体的及び精神的な依存性も認められている。多量摂取は情緒不安、興奮、嘔吐、発汗、昏睡状態や呼吸抑制を起こし、乱用による中毒死などの危険性がある。
トロントでは2016年に、179件のオピオイド系薬物中毒死が報告されている。またオピオイド系薬物中毒死はオンタリオ州では734件(2015年)であり、2006年から2015年の間にオピオイド系薬物の種類により、232%から975%という脅威的な増加率で中毒死が発生している。そのうち80%は事故死となっている。
私の職場(トロント市内のCommunity Health Centre)でも、公衆衛生局(Toronto Public Health)の薬物使用者をサポートするチームのスタッフ、ドラッグ・カウンセラーと呼ばれる薬物依存専門のカウンセラーや、元薬物利用者を招いてのスタッフ向けのトレーニングがここ数ヶ月の間に何度か行われた。トレーニングの内容は、薬物依存に最も効果的であるとされるハームリダクション(Harm Reduction)という依存症支援理念の理解や、カナダやトロントのドラッグ乱用事故死の実態と、Harm Reductionに基づいた対応方法の理解を深めることなどが中心である。
このHarm Reductionアプローチは比較的新しいものであり、それまでの「薬物は絶対にダメ」「薬物使用者はみな犯罪者」という今までの薬物依存支援理念とは違い、薬物などの有害使用による健康・社会・経済上の低減及び、対象者の尊厳と基本的人権を尊重する支援を目標としている。例えば、薬物依存者に清潔な注射器を提供し、医療者のモニタリングの下で安全に薬物を使用できるようにすることで、公衆衛生上の安全性を向上させ中毒事故死を防ぐことなどだ。
日本で依存症の専門機関以外で働くソーシャルワーカーに、依存症支援への理解を深める研修教育に深く関わっている東海大学・稗田里香准教授によると、Harm Reductionは日本では現場に知識として入ってきているとのこと。但し、従来の依存支援とは全く異なるアプローチである為、支援者や利用者の中でその理解に混乱が見られるので、その説明は慎重にしているということだ。依存症の回復は、対象者一人一人に合った方法を見極めるためにガイドラインや体制造りが必須であると、稗田准教授は語る。

Naloxone(ナロキシン) Kit
トロント市では、OHIPカードまたはヘルスカードと呼ばれるオンタリオ州健康保険証を提示すれば誰でも、Naloxone(ナロキシン) Kitというオピオイド乱用防止作用のある拮抗薬キットをドラッグストアで無料にて入手することができる。このNaloxoneを注射か鼻腔内噴射などで少量投与することで、オピオイドの過剰摂取による呼吸困難や意識低下などを回復させ、事故死を防ぐことができるのだ。私も早速最寄のドラッグストアで入手してみたが、薬局カウンターで薬剤師が使用法を説明後に手渡してくれた。警察官や公共交通機関スタッフはこのキットを常時携帯し、公立高等学校もこのキットを常設するそうだ。医療従事者や薬物依存利用者でないと、この注射注入に抵抗がある人も多いかと思うが、前述のToronto Public Healthが興味のある人の為に無料の講習会を提供している。
前述のオピオイド系鎮痛薬の消費量は、カナダはアメリカに次いで世界71カ国中第二の消費国である。日本は32位で、日本の平均消費量は3.5mgと世界平均の13.5mgよりも大変低くなっている 。アメリカではカナダよりもオピオイド系鎮痛薬への依存とその乱用が大きな社会問題になっており、その入手し易さが依存と乱用を招く原因になっていることが懸念されている。オピオイド系鎮痛薬は慢性疼痛管理として、多くの人の痛みを和らげながらも、使用法を誤まれば、極めて危険な薬でもなりうるのだ。
北米のOpioid Crisisは、痛みに対する医療のあり方、そして薬物依存に関する政策や社会の理解が複雑に絡んだ社会問題だ。市民参加型の対応は決して悪くないと思うが、その緊急事態を招いた原因を掘り下げて対処しなければと感じる。
オピオイド過剰摂取について:
Toronto Public Health, The Works:
Naloxone Kit入手先情報:
https://www.ontario.ca/page/where-get-free-naloxone-kit
Take Home Naloxone Program