平昌オリンピック現地観戦で得た気づき

文・嘉納もも・ポドルスキー

先月、思いがけず平昌オリンピックを現地で観戦する機会に恵まれた。私は普段からカナダ国内のフィギュアスケート大会でボランティアをやっているが、純粋な競技観戦は意外にも数回ほどしか行ったことがない。それがいきなり、オリンピックでペアのフリー競技、そして男子のショートとフリー競技の日程に合わせて韓国に行くことになったのである。

本当に急に決まったことであったため、色々な段取りを短期間で済ませる必要があった。しかし、だてに何十回もカナダと日本を行き来しているわけではない。きっとスムーズに運ぶであろうと最初はタカをくくっていた。

IMG_20180216_145120resizedカナダから直接ではなく、いったん日本の実家に寄ってから韓国に入り、また観戦後に日本に戻る、という旅程を組んだ。ところがのっけから躓くことになった。アシアナ航空のチケットを予約する段階で、いつも利用しているエアカナダのウェブサイトとは異なる操作であったため、ファースト・ネームとラスト・ネームを反対に入力してしまったのである。何という初歩的なミスだろうか。友人に相談しながらなんとか希望のフライトを押さえ、支払いを終えた時には汗だくになっていた。

宿やチケットは、カナダの五輪委員会公認のエージェントを通していたので問題なく手に入れることができた。だが出発の日が近づくにつれ、色々な不安が募る。果たして私は仁川国際空港から無事にKTX(韓国の新幹線のような高速列車)に乗り換えることが出来るのだろうか。カンヌン駅に到着したらホテルまでたどり着けるだろうか。韓国語を読むこともできないし、片言さえも喋れない私である。カナダのスマホを現地でも駆使できるような準備はしていたが、それでも全く自信がなかった。

そこでようやく気が付いたのだが、私はこれまで言葉の通じない国に行った経験がほとんどなかったのである。小さい時に親とヨーロッパ各地を旅行した記憶はあるし、父がクエートに駐在していた頃は中近東やギリシャに連れて行ってもらった。だが自分で旅行を計画するようになってからは、(カナダと日本を除けば)せいぜいアメリカとフランスにしか行っていないところを見ると、意識的に自分の行動半径を狭めて来たと言えるのかも知れない。そんな私が、慣れぬ韓国行きを決行しようとしていることに、遅ればせながらおののいた。

やおら、トラベル・エージェントに何度もメールで問い合わせたり、別の旅程で観戦に赴く友人たちに連絡を取って、現地で落ち合う約束を取り付けたり、と奔走する自分がちょっと情けなかった。と同時に、英語やフランス語が出来ても何の役にも立たない、と思い知る状況が新鮮でもあった。

私が2013年から手伝っているカナダのスケート連盟主催の国際大会には、日本から遠路はるばる観戦に来る人たちがたくさんいる。大会はトロントやバンクーバーといった大都市で開催されるとは限らず、ニューブランズウィック州セントジョン市、アルバータ州レスブリッジ市などのかなり辺鄙な場所にまで、お客さんたちは熱心に足を運んでくれるのである。今まで深く考えずにいたが、皆さんの勇気や行動力に改めて感心するきっかけを得たのは良かった。

IMG-20180217-WA0007resized今回の平昌オリンピックのスケート観戦に関しても、一緒に会場に行ってくれた友人たちは自信たっぷりに、正確な情報収集に基づいて行動していた。それもそのはず、ソチのオリンピックにも彼女たちは行っているし、マルセイユ、ヘルシンキ、モスクワ、台北なども網羅している。カンヌンではシャトルバスを駆使したり、宿でタクシーが呼んでもらえなければ大通りに出て拾ったり、食事も手際よく店の見当を付けて連れて行ってくれた。あっぱれと言う他ない。

私より二日遅れで韓国入りした幼馴染のNさんに至っては、到着早々に小洒落たカフェに目を付けて「ここでお茶して行こう」、とまるで日本にいるかのようなノリ。さらには大きなスーパーで手慣れたように化粧品や食料品を仕入れ、ホテルの目の前のセブンイレブンでしか買い物をしていなかった私とは大違いである。つくづく自分が海外旅行に不慣れであることを痛感し、言葉の通じない環境では、友人たちのように堂々と旅を満喫する度胸こそがものを言うのだと思った。

オリンピック会場でのスケート観戦はもちろん、素晴らしくエキサイティングな経験となったが、このような気づきがあったことも私にとっては貴重であった。

ちなみに実際に韓国に着いてからは、全てが予想以上に明確に表示されていて、迷うことはなかった。2020年に東京で開催される夏のオリンピックも、同様に上手く運ぶことを願うばかりである。

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