次世代のリーダーシップ
文・野口洋美
「これまでに『バランスのとれた人間になれ』と言われたことのある人は手を挙げてください。…全員ですね。はい、では一旦そのアドバイスを忘れましょう!」
気持ちよく晴れた6月、末娘がカナダで大学を卒業した。卒業式で私が最も感銘を受けた祝辞の続きをまず英語で紹介したい。
“To become a maximalist, you must first be a minimalist. … Please be simple”
私の心を撃ち抜いたこのフレーズを日本語にするのは至難の技だが、以下に訳を試みた。
「秀でた者になりたければ、まず一つのことに没頭しなければならない。どうかシンプルでいてください」
日本在住日系人
「祖父の苦労と成功を多くの日本人に知ってもらいたい。日系人として祖先を敬い、その功績を次の世代に伝えてゆくことが、自分に与えられた使命だと思っています」。
日系人3世、野内(のうち)セサル氏の言葉だ。彼の祖父野内与吉は、21歳でペルーに移住しマチュピチュまでの鉄道建設に携わった後、初代マチュピチュ市長となった。
私がセサル氏に出会ったのは、6月初旬、ホノルルで開催された海外日系人大会だった。海外日系人大会とは、海外で暮らす日本人やその子孫が集う大会で、例年の開催地は東京なのだが、日本人が初めてハワイへ移住してから150年になるのを記念して、今年はホノルルで開催された。セサル氏は、その大会のシンポジウムに日本から招かれた30代の日系人男性だ。
この海外日系人大会で私は、日本は現在、ブラジル、アメリカに次ぐ世界で3番目に日系人が多く暮らす国だと知った。これは、日本政府が日系人2世、3世に対して緩和した在留資格のためだという。セサル氏は、16歳の時この在留許可を得て南米ペルーから日本へ渡った。日本で働き、ペルーで暮らす家族の生活を支えるためだ。定時制で高校、大学を終え、その後大学院で、祖父与吉をはじめペルーへ移住した日本人達の研究に携わった。
「違いを生む」原動力
末娘の卒業式で「バランスのとれた人間になる前に、まずは一つのことに没頭しろ」というメッセージを聞きながら、私はセサル氏を思った。
差別に耐え、言葉を学び、仕送りに励み、学問に勤しんだ若き日系人…果たして彼は、1917年にゴム景気に湧くペルーへ移住した祖父の姿に自分を重ねたのだろうか。すべては、「祖父がペルーの地を踏んでから100年目の2017年に故郷福島県に『野内与吉資料館』を開設する」という、たった一つの目標のためだった。
この揺るがぬ信念こそ「違いを生む」原動力ではないだろうか。
MUSUBU:日系人ヤングプロフェショナル
ところでトロントでは、今年5月、日系人のヤングプロフェショナルたちが、「MUSUBU」という組織を立ち上げた。5月17日に開催された設立記念会には、トロントに暮らす10代から70代までの日系人が、次世代のリーダーたちの産声を聞くために集まり、その数はなんと80人に及んだ。誰もが次世代の日系リーダーたちに期待をかけているのだ。
20代後半を中心とするこの若きプロフェッショナルたちは、ビジネス界で活躍する日系人の先人や、後輩となる日系人子女とのネットワークを大切にしたいと話す。世代を超えて結びつこうとする意欲は、「MUSUBU」という団体名にも反映している。
さて、最も熱心にこの若者たちの活動を応援しているのが、80年代以降にカナダに移住しカナダで子育てをした日本人たちだ。「自分は移住後、なんとか試練を乗り越えてきたものの、日系人としての我が子の将来に不安を覚える」という親世代の気持ちは痛いほどわかる。私自身、先頭切って彼らを応援する親の一人だ。
若きリーダーたちへの提言
だが今日は、あえて若者たちに提言したい。ネットワーク、ネットワークと騒ぐ前に、まず自分が没頭できる何かを見つけて欲しい。
わずかの努力で、ありとあらゆるテクノロジーにアクセスでき、情報もオプションも溢れ返っている現代社会。少しばかり要領が良ければ、人脈とマルチタレントを武器にそこそこ出世もできるだろう。
だが、そんな今だからこそ求められているリーダーに必要なものは、創り出す力、ゼロから始める勇気と情熱、そして、目標達成のためにテクノロジーやネットワークを活用するフットワークの軽さなのではないだろうか。
「MUSUBU」 を立ち上げた若者たちは「創り出す力」を持っている。これが「継続する力」「動かす力」となることを切に願う。
2017年『野内与吉資料館』を開設したセサル氏は、近い将来マチュピチュの市長戦に打って出るという。「動かす力」を持った若き日系人リーダーの誕生も近い。次世代の日系人たちが目標とすべきリーダーの姿がここにある。