「人の記憶は当てにならない」

文・嘉納もも・ポドルスキー

先日、日本からトロントを訪れた友人夫婦と会食をする機会があった。面白いことに私はこのご両人と別々のご縁があり、奥様のMさんとは同じ神戸の女子校の同窓生、その一方で旦那様のS君とは大学時代のスキー部の同輩、なのである。しかしお互い、長年の海外暮らしが続いたので何度も交流が途絶えた時期があった。

今年の夏からお嬢さんがワーキングホリデー・ビザを利用してトロントで暮らすようになったので、その顔を見にいらしたことで私とも久しぶりの再会となったのである。

さて、食事も中盤に差し掛かると当然のごとく、昔話に花が咲く。懐かしいエピソードを次々と持ち出しては「そうそう、そんなこともあったね」とテーブルを叩き、ポカンとするお嬢さんを置き去りにして笑い合う、そんな旧友たちとの会話は実に楽しかった。しかしその途中でMさんから出たひとつの話題に私は大きな驚きを覚え、そして考えさせられた。つくづく、人の記憶はあてにならないものだ、と。

内容はこうだ。Mさんは私が中学二年生の時にフランスから帰って来たことを良く知っていらっしゃる。学年を一つ落として編入した私とMさんは年齢こそほとんど変わらないが、学年においては彼女の方が二年、先輩だった。そこで彼女は当時の様子を回想して、「あなたのことは、私たちの学年でもちょくちょく話題になってた。フランスからの帰国子女で日本語が苦手だったから、作文の宿題を特別に英語で提出させてもらった、という逸話もあったわよね。」と言ったのだ。

「え、ちょっと待ってください。私、そんなこと一度たりともしてませんけど。」と、私は慌てて打ち消した。確かにフランスには10年以上住んでいたが、日本に帰った時点で日本語に不自由していたという覚えはない。漢字の書き順はめちゃくちゃだったけど(自慢ではないが、それは今でも続いている)、国語の授業も普通に付いて行けていたし、作文はどちらかと言うと得意な分野でさえあったのだ。ところがMさんによると、「ももが特別に作文を英語で書かせてもらった」という話は、少なくとも彼女の学年の仲間の間では全員がその信ぴょう性を疑うことなく、まるで何かの「武勇伝」のように語り継がれているそうなのだ。

このような思い違いはいかにして起こったのだろうか。理由は二つ、思い当たる。

一つ目は単純な人違い、である。私と同じ学年に前年度、アメリカから帰って来た生徒がいた。その人は入学当時、英語の方が日本語よりも達者で読み書きでは少々難儀していたと聞く。もしかするとその人と混同されたのかも知れない。

二つ目としては、「帰国子女」に対するステレオタイプがある。海外に長く住んでいて、日本語を忘れてしまった子、というのが当時の帰国子女に対するイメージだった。私はフランスで教育を受けたのだから、堪能になったのは英語ではなく、フランス語だと考えるのが妥当なのに、神戸で通っていたその学校の生徒たちにしてみれば「海外=英語圏」という図式が出来上がっていたのだろう。

いずれにしても、誤解に基づいた話が40年余りに渡って何人もの人たちの間で伝聞され、反芻されていく内に確固たる「事実」の位置を得ていたのである。人の記憶は当てにならない、という見地に立つと、私たちが「確かな史実」として信じ込んでいるものの中にはどれだけの間違いが含まれているのだろうかと怖くなる。

誰かが何らかの意図を持って虚偽の情報を拡散している場合だけではなく、私の「英語作文提出特別措置エピソード」のように純粋な勘違いによる場合も併せると、間違いは膨大な数・量にのぼるに違いない。だからこそ我々は教科書に書かれてある「歴史」を、単に過去から現在に至るまでに起こった出来事の正確な記録として鵜呑みにするのではなく、史実をどう捉えるかにより常に書き換えが可能であり、常に疑問の目を持って扱うべき危ういものだと心しなくてはいけないのではないだろうか。

ちなみに、Mさんには次のクラス会でくれぐれも私にまつわるエピソードを是正してほしいとお願いしておいた。それでも「ももってカナダに住んで30年以上経つらしいよ」という説明が付け加えられたなら、またぞろ「あー、だって中学の時から英語で作文提出してたもんね」などと話が元の木阿弥に戻るような気もしているのである。

 

 

 

 

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