自分の道を、自分のペースで決められるということ

文・空野優子

私は今ヨーク大学というトロント市内の大学で、大学院生の研究サポートをするポジションについている。日々多くの学生と接する中で実感するのは、こちらの学生はバックグラウンドがとても多様だということである。世界中から移民の集まるトロントならでは、人種・民族の多様性はもちろんなのだが、それに加えてやってくる学生の経験や年齢層が幅広いのである。

例えば、これまで接した学生の中で特に印象に残っている一人に、ジェシー(Jesse)という歴史学の学生がいる(注1)。カナダの先住民グループの一つ、メティ(Métis)のクリー(Cree)族にルーツをもつ彼は、多くのカナダの先住民族と同様、困難な環境で育った。10代のうちから麻薬に手を出し、10年ほど路上生活を送ったが、何度目かの逮捕でリハビリ施設に送られたことをきっかけに、人生を見直すことを決意。その後紆余曲折を経て、30歳を過ぎて高校卒業の資格をとり、大学へ進み、非常に優秀な成績で大学院にやってきた、という異例の経歴の持ち主である。

彼は、大学で学ぶ中で、彼自身と多くのカナダ先住民が、貧困、ホームレス、麻薬・アルコール中毒などで苦しんでいる現状が、カナダ政府による先住民への迫害の過去にさかのぼることを理解する。そして、その悪循環を断ち切りたいという目標をもって、今まで注目されてこなかった近代のメティ先住民の歴史をテーマに、現在博士論文を書いている。歴史の発掘には過去の記憶を探る作業が不可欠だが、メティにルーツを持ち、コミュニティとのつながりを持つ彼だからこそ、調査することのできるテーマでもある。

彼以外にも、自らの経験をもとに研究を行う学生はとても多い。教師として働いたのち、特別支援の必要な子どもの教育を専門に勉強したり、障がいを持つ子どもを育てながら障がい者支援の政策について研究したり、といったように、自身の職務経験、または個人的な経験を経て、関心のあるテーマを勉強する人は珍しくない。またそういう意欲をサポートする体制が、十分ではないにしてもある程度整っていることも、人生のセカンドチャンスが許される環境を可能にしているのだと思う。例えば、先の例のジェシーの場合、彼の研究テーマは高く評価され、カナダの博士課程の学生向けとしては最も価値のある奨学金を取得している。

私は日本での高校時代、将来は開発教育に関わる仕事がしたいという漠然とした希望から、大学留学を希望し、そしてアメリカの大学卒業後すぐ、トロント大学の教育学修士課程へ進んだ。思い出すと、周りのクラスメートは皆、関連した職務経験を積んだ人ばかりで、私もある程度の経験があれば、また違った学びの経験が得られたのだろう。諸理由あって、結局トロントで就職する道を選び、そのことに後悔はないが、今考えてみると、他にも選べた可能性はたくさんあったはずだ。だいたい、ほとんど学校の世界しか知らない17,18歳くらいで、将来自分の進むべき道が分かっている人など、何パーセントくらいいるだろうか?

その意味で、いろんな経験を積んでから、自分のペースで学びなおしたり、職を変えたりすることが当たり前のように受け入れられている、カナダの社会の柔軟さの価値は大きいと思う。ヨーク大学に限らず私の周りを見ても、何年も働いた後に学校に戻る人はちらほらいるし、日本人のママ友でも、子育てをしながら勉強しなおしている人もいる。私は35歳の今、仕事に子育てにあくせくしている毎日だが、次にやりたいことが見つかったら、また学校に戻るというのもありかなと、学生と接する中で考えたりもする。

 

注1)ジェシーの人生についてはいくつかの記事で取り上げられている。例えば2018年ヨーク大学雑誌を参照:https://magazine.yorku.ca/issues/fall-2018/going-home/

 

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。