何故か構えてしまう?日本の伝統芸能

文・ケートリン・グリフィス

昨年11月下旬の週末「お豆腐狂言」で有名な茂山千五郎家が京都からトロントへ訪れ、狂言三昧の贅沢な数日を過ごすことができた。笑いは時代、文化、そして言葉の壁をも突き破る魔法のようなものだとこの秋のトロント公演で実感した。

もともと中世史に興味があるため、私は狂言や能などの中世から受け継がれている伝統芸能には関心がある。そして中世日本史を教えるときには必ず学生に狂言の演目をビデオ鑑賞させている。能も講義で触れるし、能への紹介用ビデオなどで雰囲気だけでも味わえるようにしているが、狂言の良さは(特に授業において)演目が短いことと笑いを誘うための演出であるため、常に学生受けがよい。そして室町時代からどのような内容のストーリーが人を引き付けていたのか、登場人物から何がうかがえるか、また当時の流行りなどについても学生に検証してもらうことができるので伝統芸能に触れるだけでなく歴史の勉強が更に面白くなるはず、と私は思っている。

今回のトロント公演では、日本語のまま、字幕も通訳もなく上演された。客席には日本人もいたが、トロントだけに多様な方々が出席していて日本語がわからない観客もたくさんいたようだ。言葉で理解できなくとも声の響き、トーン、動作等で滑稽さが観客に伝わり笑いに繋がっていたように思えた。また演目の前にあらかじめ内容が伝えられていたことと、丁寧なそしてユーモアを交えた狂言の紹介が英語の通訳を通して行われ、ステージの設定、登場人物の動作の意味、そしてみんなで笑い方の練習をしたことも成功への鍵だったと思う。

演目のあと、客席からの質問コーナーで記憶に残ったのは「トロントと日本での観客の反応の違いは?」(のような意味合いの質問)で、これについて十四世茂山千五郎氏はトロントのほうが素直な反応で嬉しかった、続けて、日本では伝統芸能という肩書のためか構えて来る人が多い、というようなことをおしゃっていた。確かに伝統芸能と聞くと「堅苦しい」「一般人にとっては面白くない」などの先入観が付きまとうようだ。

この先入観は慣れ親しんでいない所から来るものだろうか?伝統芸能だが実際みたことがないので「堅苦しい」と思うのだろうか?授業で主に観させている演目は『止動方角』(しどうほうがく)。大雑把に内容を記すと、太郎冠者が主人のわがままに嫌気がさし咳をすると暴れる癖のある馬の後ろ で、わざと咳をして主人を落馬させて日ごろのうっぷんを晴らす、というものだ。主人を落馬させて「笑い」をとる伝統芸能が堅苦しいわけがない。(太郎冠者とは主に仕える召使いの名。そしてもちろん馬は人間が演じている。)

狂言はおもに現実世界(といっても室町、江戸時代の現実)の人間の喜怒哀楽が中心で、人を笑わせ楽しませることがメイン(例外もあるが)。表現をさらに写実的にするため動作に合わせた擬音などはまさに言葉の壁を越え、私たちの想像力を楽しく刺激してくれる。今回のトロント公演でも扇と擬音だけで、それはそれは美味しそうな酒が飲み干されていた。
狂言はだれもが楽しめるお笑いなので、伝統芸能という肩書に敬遠することなく、気軽に機会をつくって足を運んで狂言の面白さを実感してほしいと切に思う。

茂山家のお豆腐狂言のウェブサイトはこちら:https://kyotokyogen.com/

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。