毎日の小さな充実感「新型コロナウイルス(COVID-19)外出自粛8週目を迎え

文・ケートリン・グリフィス

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)によって緊急事態宣言が出され、不要不急の外出を控えるよう強いられてから8週間。学校、映画館、図書館などは未だ閉ざされたまま、公園も徒歩の通りぬけは良いが、遊んだり、ベンチに座るなどの行為は禁止。営業を続けているレストランもテイクアウトのみ許されている。

犬の散歩や食品の買い出しで外出する場合も、常に人と2メートルの間隔をあける「Social Distancing」を維持することに注意する生活が続いている。狭い歩道ではこれがなかなか難しく、車道を歩かざるを得ないことも多い。これはこれとして、ちょっとしたダンスステップみたい、と自分の中の「楽しい」こととして、日々の充実感へとつなげるよう心掛けている。ちなみに犬のほうが私よりも車道を歩くことに不安を感じているようだ。

家から半径2キロの区域から出ていない8週間。家籠り生活のなかで取りあえずの目標として「今できないこと」に拘るのではなく「今できること」に専念することにしている。

犬の散歩中でもっともシンプルで達成感がある行動が「あいさつゲーム」。これは父が教えてくれた「ゲーム」だが、要はすれ違う人とあいさつを交わすこと。相手より先に挨拶したほうが勝ち、相手が挨拶を返さなかった場合でも勝ち、相手が先に挨拶したのなら負け。もちろん相手は私がゲームとしてあいさつを交わそうとしていることは知らない。自己満足だが、このような時だからこそ有意義なゲームではないかと思っている。なにより相手が返事をしてくれた時のほっこりと感じる気持ちよさは、相手も同じだと信じている。

トロントは昔から不愛想で他人に冷たい保守的な土地柄とされている。例えば20代のころ研修に参加していた時、オンタリオ州の田舎から来ていた人に「あなたはトロント人なのにやさしいのね」と言われたことがある。褒めてくれている反面トロントって本当にイメージ悪いんだなと実感せざるを得なかった。でもなぜかその時「トロント人でも良い人はたくさんいますよ」と言わず「私生まれはバンクーバーなんです」と彼女の「人当たりの良いトロント人はいない」というステレオタイプを崩さないような返事をしてしまった。すると「あーなるほど、納得」と簡単にうなずかれてしまった時の複雑な気持ちをいまだに覚えている。

またバンクーバーで暮らしていた時、祖母がトロントに住んでいたため夏休みをトロントで過ごすことがしばしばあった。トロントのネガティブイメージは私の小学校時代の友達の間でも浸透していて「トロントに行ったら性格悪くなるよ」と言われたショックもまだ忘れていない。なにせ祖母は本当にやさしく、それこそ誰とでも挨拶を交わす人だったので、私にとってトロントは祖母の性格のような明るい場所だと思っていたから。トロントへ移ってからは、トロントの「不愛想」な側面をたくさん見たり経験したりしてきた。それでもトロントは住み心地の良い所もたくさんあり、気が付けばトロントにすっかり根を下ろしている。

なかなか挨拶を交わさない街中で、あえて「あいさつゲーム」を私は毎日続けている。犬と一緒なので心強いのは確かなのだが。3月中旬頃は結構敗北していたのだが、最近は勝ち続けている。緊急事態宣言によって今までの生活が変わってから8週間目となる現在、ストレスがたまり続けて挨拶もしたくなくなった人が増えてきたのだろうか。

今の一番の楽しみは友達と携帯で会話しながら「一緒」に散歩することなのだが、この時もすれ違う人には手を振っては、あいさつゲームを実行している。稀に立ち止まって(2メートルの間隔をあけながら) 話し込んでくる人がいるので「あ、ごめんなさい、電話中なんです」と断って歩きつづけるときはさすがに申し訳なく思う。でも、これって私の負け?などと考えてみたりできるのもちょっとした幸せだと感じている。

引き続き「Hi」と声をかけてみたり、手を振り続けていこうと思っている。これが今自分にできる小さな毎日の充実感作りなのだから。犬をみて微笑んでくれる人も多いので、あいさつから(もしくは犬から?)始まる平穏生活を信じてみたい。

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