Anti-black Racismのゆくえ

文・空野優子

コロナ禍の中、5月以来全米に拡大した黒人差別に対する抗議運動は、9月に入り、さらなる展開をみせている。

8月末の新たな白人警官による黒人男性への銃撃を機に、全米バスケットボールリーグNBAの選手が試合をボイコットするという事態に発展した。全米オープンを制覇した大坂なおみが、被害者の名前入りのマスクで試合に登場したり、多くのスポーツ選手、著名人が参加して、社会全体を動かす波となっている。

さてこのAnti-black Racism(反黒人差別運動)の動きは、カナダにいる私たちにとっても他人事ではない。というのは警察による黒人、マイノリティグループに対する差別・暴力(これは時には死に至らしめることになる)はカナダにも存在していることである。加えて、カナダでは、警察による先住民に対する差別の歴史も広く認識されており、今回のアメリカでの動きに伴い、トロントやその他の都市で抗議運動が続いている。

さらに、私がこの一連の動きを他人事と済ましてはいけないと思うのは、これが黒人と警察の関係のみに向けられたものではないからだ。今回の運動は、私たちの社会に、黒人、先住民をはじめマイノリティを差別し続ける構造(systemic racism)が存在することを指摘し、その解決を呼びかけている。

日本語で差別というと、例えば外国人であることを理由にサービスを断るなど、差別意識や偏見を持つ人による行為をイメージすることが多い。あるいは公民権運動前のアメリカのように、黒人と白人が乗るバスの席が分離されていたりなど、制度として人種を平等に扱わないような状況は人種差別の例としてはわかりやすい。

それに対して、制度的にはみな平等に扱われていても、社会において、その歴史的な成り立ちから、一定の人種、性別などのグループに属する人が不利益を受ける状況を英語でsystemic racism(構造的人種差別)またはsystemic discrimination(構造的差別)と呼ぶ。アメリカでの最近の抗議運動に関連してコメントを求められる中で、カナダのトルドー首相は「カナダにも構造的な差別 が存在し、それはすなわち、我々の社会制度が非白人カナダ人と白人カナダ人にとって平等でないということ」と説明していた。*1

構造的な差別という言葉を初めて聞いたのは、私がアメリカに留学したばかりの2002年ごろだったと思う。私は当時、人種差別というのは個人の差別意識からくるものと漠然と思っていたので、人はみな平等といわれて育った中で、社会が人を差別するという考えが正直ピンと来なかった。大学で、アファーマティブアクションなどの取り組みを学んでは、なるほどこれは必要だと思いながらも、「僕が何か悪いことをしたわけじゃないのに不利に扱われるのは逆差別だ」と発言する白人学生には反論する言葉が見つからなかった。

ここで重要なのは、この構造的な差別というのは個々の偏見の問題ではなく、また形式的な差別を禁止するだけではなくならない問題だということだ。個人のレベルでの差別は、偏見を取り除き、あからさまな差別を禁止することである程度解決する部分があるが、構造的な差別は、誰が誰を差別しているという問題ではないので、やっかいだ。

例えば大学という組織をとってみる。北米の大学は一般に白人(特に白人男性)のための機関だったため、今でも教授陣やスタッフでも特に上層部は白人が大多数である。そのために社会が多様化し、学生のバックグラウンドが多様化しても、組織内の文化や慣習(例えば昇進のために重要視される要素やネットワークの役割、または無意識のステレオタイプや偏見*2)は自然には変わらず、歴史的に排除されてきたグループにとっては(多くは目に見えない形で)壁が残る。これらの問題は、権威ある立場に立つ人達が、差別的な意図をもってマイノリティを排除しているからではない。

Anti-Black Racismの機運が高まって以降、多くの高等教育機関も動き出している。構造的な差別の是正に向けた取り組み自体は今始まったことではないが、例えば私の勤めるヨーク大学では、学長、学部長の名で、大学が具体的にどのような目標(例えば黒人教授の採用を増やすなど)を掲げてどのような取り組みを行っているか、またその進捗状況が定期的に発表されている。

もちろん、これらの取り組みが、十分であるか、これから満足できる結果をもたらすかについては様々な意見がある。それでも、私はまず構造的な差別という問題を認識し、遅まきながらも取り組みを進めているカナダ全体の方向は評価するべきだと考えている。

 

*1)https://nationalpost.com/news/canada/as-u-s-boils-over-trudeau-says-systemic-racism-in-canada-must-be-addressed

*2)無意識の偏見に関する研究で私が興味深いと思った例を挙げると、これは人種ではなく性別に関するものだが、教授が書いた学生への推薦状を分析したものがある。女子学生への推薦状は、男子学生へのものに比べて統計的に短く、また使われる言葉の質が異なるというものである。女子学生に関しては「勤勉な」「信頼できる」などの形容詞が使われることが多いのに比べ、男子学生に関しては、「優秀な」「秀でた」といった評価がよくつかわれていると報告している。(https://www.chairs-chaires.gc.ca/program-programme/equity-equite/bias/module-eng.aspx)。

 

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