パンデミックの最中、比較文化に興じる。
文・嘉納もも
2020年が得体の知れないウイルスに翻弄される年になることを、年明け早々誰が予想しただろうか(某国の衛生局関係者以外。。。)。少なくとも私などは、久しぶりに日本で過ごすお正月に浮かれて全く夢にも思っていなかった、と言えよう。
それからカナダに戻り、職場で大きなイベントを無事に終えた一月には、まだトロント市内でマスクをしている人の姿はほとんど見られなかった。

日本の友人たちに『ナショナル・ポスト』紙の一面をスマホで写して、「ほら、ようやく騒ぎ始めたよ」と冗談半分で送ったのが2月27日である。しかしさすがにその頃にもなると、日本から伝わって来る新型コロナウイルスの情報は徐々に深刻化していて、カナダにいても心中が穏やかではなくなっていた。
というのも、私は3月下旬にモントリオール市で開催が予定されていたフィギュアスケート世界選手権に、大会ボランティアとして赴くことになっていたのである。案の定、ウイルス
の感染は瞬く間に世界中に広がり、とうとうWHOによる「パンデミック宣言」が出た3月11日に、世界選手権の大会中止が正式に発表されてしまった。
当時はまだ「2020年の東京オリンピックは開催できるのだろうか?ワクチンが早々に開発されればギリギリ、可能かも?」などと真面目に議論されていたのが、今となっては滑稽に思える。しかしそれを言うならば、一般人はもちろんのこと、あらゆる「専門家」が、特にパンデミックの初期において予測・推測したことが見事に的外れであった事に驚かざるを得ない。「リアルタイムでまともな分析が出来た人は誰一人としていなかったのではないか」と2020年の終わりに近づいた今、つくづく思うほどである。だが、英語の表現で「Hindsight is 20/20」(後から振り返って正解を言うのは簡単)というものがあるとおり、この新型コロナウイルスに関して我々はあまりにも何も知らなさ過ぎたのだとも思う。
さて、前置きが長くなったが、私は春からの自粛生活で(前の記事で取り上げた映画・動画鑑賞の他に)カナダや日本のメディアが発信するニュースに浸り、さらにフランスのテレビ局の番組をほぼ毎日、観るようになった。こちらで視聴できる「TV5」というチャンネルでは夜のニュース(“Journal de 20h”)やフランス人の得意とする討論番組(“C dans l’air”)が放送され、すっかり虜になってしまった。そのため、ややもすればどこの国のことよりもフランスの感染対策や時事問題に詳しくなった感がある。
来る日も来る日も暗いニュースばかりに接しているとつい落ち込んでしまうものだが、私はこのフランスのテレビ番組鑑賞のおかげでけっこう楽しませてもらっている面もある。どうということのないポイントに気付いて感心したり(例:フランスの男性ニュースキャスターは濃紺の背広しか着ない)、パンデミックの最中にも揺るがない習慣に笑ったり(例:「感染が深刻なのはわかるけど、夏のバカンスには行っても良いんですよね?」と、公衆衛生の専門家に寄せられた視聴者からの真剣な質問)、またはフランスの公人や知識人がおしなべて素晴らしく文法正しいフランス語を操ることに感動したり。
しかし自分の住んでいる地域以外のメディアに触れることで得た最も大きな収穫は、同じ感染症と戦いながらも、国それぞれの文化的・政治的・経済的・地理的な要因によってこれほど多様な展開が繰り広げられるものなのだ、と思い知ったことであろう。
北米と一口に言ってもアメリカとカナダでは全く違った対策方針を取っている。日本は人口密度の高さの割に感染を驚くほど上手くコントロールしている。そしてフランスやヨーロッパ諸国は軒並み、酷い第二波を迎えている。これは一体、どのように分析できるのだろうか。
ついこの間まで、自分の息子が専門としている “EPIDEMIOLOGY”(疫学)とはどういう学問なのかもろくに知らなかった私だが、パンデミックのおかげで大変、興味を持つようになった。30才ほど若ければ、私も勉強してみたい分野であったかも知れない。だが自分なりに、2020年に人類を襲い、甚大な影響を及ぼしたこの厄介な感染症を比較文化の視点から研究してみたいとも思ったりしている。
それにしてもそろそろコロナ・トンネルから抜け出して、マスク無しで明るい光に当たってみたいと思うのだが、いつその日が来るのだろうか。