ふたつの拠点「ダブルローカル」〜新時代の暮らし方
文・野口洋美
1991年、私はカナダに移住した。以来30年間、私は、カナダから日本へ向かうことを「日本に帰る」と呼び、日本からカナダに向かうことを「カナダに帰る」と呼んできた。
私には帰る場所がふたつあった。けれどもそれは、生活の場がふたつあったわけではない。仕事や子育てをする生活の場はカナダであり、家族を訪れ、休暇を過ごすのが日本だったのだ。
だが月日は、そんな日本の休暇を別の形に変えていった。私に限らず、子育てを終えた女性移住者の多くが年に何度か日加を往復している。今度は親との時間を大切にしたいというのがその主な理由だ。
往来組と水際対策
このように日本とカナダを頻繁に行き来している人々のことを 私は「往来組」と呼んでいる。往来組の生活は、2020年3月以降一変した。日本入国後14日間の隔離要請は、以前なら翌日には生田場所や会えた人との距離をとてつもなく遠いものにした。
往来組のカナダ人配偶者の存在も日加往来の様相を変えた要因だ。日本のパスポートを持たない者は入国を許さないとする水際対策のため、夫婦で日本を訪れることが不可能になった。さらにこの水際対策は、在留資格を持つ外国人たちも、2020年4月3日以降に日本を出た場合、再入国は許さないとする厳しいものだった。
2020年4月、日本で暮らしていたカナダ人たちは、しばらく日本に戻れないかもしれないというリスクを抱えてカナダに帰国するか、長期滞在を視野に日本に留まるかという選択を余儀なくされた。
私の夫もそのひとりだった。
選択肢
夫はかねてから、引退後は日本でスキーを教えたいと望んでいた。しかしこの夢をかなえるのに3年かかっている。晴れて実現した日本滞在を楽しんでいた夫は、来シーズンも日本で、という思いから、日本政府が再入国を許可するまで日本を出ないと決めた。
一方、私のようにカナダの永住権をもつ日本国民は、カナダと日本、両国への入国が許されていた。トロントの子供たちに「ひとりでカナダへ戻る」と告げたところ、「戻ってきてもすぐには会えないし、感染リスクの高そうな経由便も心配」と諭された。この頃トロントは、厳しく外出が制限されており、人々は、親兄弟であっても面会を控える生活を送っていた。また東京、トロント間のノンストップ便も運休となっていた。
こうして、私が想定外の日本滞在を覚悟しつつあった5月、夫はこれまた想定外に長野県白馬村に住宅を購入した。これが、私が白馬村民となった顛末だ。
ダブルローカル
カナダか日本かという選択を私は30年前にも下したことがある。カナダで生活を始めた時、周りからは日本を捨てたのだと目された。だとしたら、私が白馬で生活していることは日本を選んだと見なされるのだろうか。

どちらかを選ぶのではなく、ふたつの場所で生活し仕事もこなすライフスタイルを「ダブルローカル」と呼ぶのだそうだ[1]。しかしダブルローカルは、毎日同じ職場に通わなければならない人々にとっては縁の薄いコンセプトだった。ところが、COVID-19に伴うテレワークの推進は、様々な職種の人々に、生活の場をもう一つ構えるという選択肢を与えた。それは、「選ばない」という選択肢だ。
この夏以降、白馬村がそんな選ばないダブルローカルたちの新拠点として選ばれていると、地元で不動産を扱う友人に聞いた。東京の会社に籍を置く外国人や、会計士など士業を生業とする人々が続々と白馬に住宅を求めているという。なんと、夫は先駆者だった。
新時代のダブルローカル
往来を困難にしたCOVID-19が、奇しくもダブルローカルを身近なものにした。そして新時代のダブルローカルを可能にしたのは、インターネットだった。
日本滞在を決めた私は、カナダの職場へ退職を願い出ようとした。ところが、テレワークの徹底が職場環境を一気に柔軟にしていた。結果、私は日本にいながら仕事を続けている。
こうして私はカナダの生活に終止符を打つことなく、白馬村で暮らしている。
「選ばない」はしかし、そのどちらとも本気で取り組む覚悟を必要とする。二つの場所を共に拠点と呼ぶには、それぞれと正面から向き合う姿勢が必要なのだと襟を正す。
私には今も帰る場所がふたつある。そしてそれらは共に生活の場なのだ。
(後記)2020年9月、日本政府は、日本人の配偶者ら在留資格を持つ外国人居住者の再入国を認めた。出国前の再入国許可申請と入国前72時間以内に受けた検査での陰性証明がその条件だ[2]。もちろん14日間の隔離要請はそのままだ。
夫に「一度カナダに帰ってくる?」と尋ねたところ、カナダで14日、日本で14日、計28日も家から出られないと考えただけでしんどい」との返事。どうやら私たち夫婦はしばらく白馬村で過ごすことになりそうだ。
[1] http://throughme.jp/meguru_yamanoie01/
[2] http://www.moj.go.jp/nyuukokukanri/kouhou/nyuukokukanri07_00245.html