アスリートの健康と日本の「修行」観 その2~大相撲を題材に
文・鈴木典子
2021年2月に相撲、野球、アイスホッケーの共通点について記事を書き、8月にオリンピックを題材に、アスリートが健康とは限らないという記事を書いた。今回は白鵬が9月末に引退表明をしたのを機に、同様の視点で大相撲を題材に考えてみたい。
大相撲には「公傷」(休場するとその取組は負け扱いとなるため番付が下がるが、取組での怪我などがもとで休場する場合は番付が下がらない制度)が無くなったことを今回リサーチしていて認識した。その理由について、公傷制度を廃止した当時の北の湖理事長は、休んでも番付が下がらないなら楽な方に流れて休みたくなるからだと語る(下記引用)。しかし、どんなに鍛え、注意していても怪我は起こるものだ。休養してリハビリすればより長く現役を続けられるかもしれないのに、治りが不十分なまま出場してまた怪我を繰り返し、不本意な結果しか残せなくなって引退を早める力士は少なくないのではないだろうか。
「休養できない」理由としては、「業務過多」があるのではないだろうか。まず、本場所だが、昭和28年までは10日~15日間で年数回だったのが、昭和28年から晴雨にかかわらず15日間で4場所制、32年から5場所制、33年から6場所制となり、計90日間が「公式戦」だ。
更に、場所と場所の間にある「地方巡業」という地方での大会が、2014年には37日間だったのが2018年には91日にものぼっている。それ以外にも奉納相撲やファンサービスの親善相撲があったり、イベントや施設訪問に呼ばれたりと別の「仕事」もあって、まとまった時間をリハビリに使うことは非常に難しいと思われる。
精神面では、稽古以外のストレスも相当だろう。厳しい上下関係のある社会で、結婚するまでは親方夫妻の「子供」として全員が「部屋」に住み込み、関取になるまでは大部屋で共同生活はを送る。外国人力士については更に苦労が多いことは想像に難くない。
番付が上位になるほど、公私共に立場に恥じない行動や態度を期待される。元々神前で奉納された武道であることもあり、一層の「精進」が求められる。最高位の横綱になれば、優勝は「当たり前」なので、番付上や休場などで「一人横綱(横綱が一人しかいない状態)」であれば、優勝の責任は相当のものだ。親方やおかみさん(親方夫人。相撲界での母親代わり)にも弱音を吐くことなど考えられない。
今回引退表明をした白鵬の経歴を少し紹介しよう。
2000年に15才でモンゴルから来日、大相撲を始めたのは2001年春場所。特に最高位の横綱を84場所(14年以上)つとめたことは、横綱在位中722回の連続出場と共に歴代1位の記録だ。2020年から6場所連続休場の主な理由は右膝の怪我で、それ以外にも足首、上腕等で怪我と手術を繰り返し、36才の年齢からも復調が望めないと判断したようだ。
モンゴル人と言うことで、勝ちを追及するあまり、「横綱らしからぬ姑息な」手を使ったり、勝った後にガッツポーズで歓喜を表したりしたことで「横綱の品格」にかけるという批判が現役中に多く寄せられている。「文化」の違いの中で横綱として勝利を続けることは、日本人力士とは別のストレスがあったことだろう。
心身ともに最強であることを求められる力士も、オリンピック種目のトップアスリートと同じだと言えるのではないだろうか。不調や弱音も口にできず、心身共にボロボロになって引退していくしかないとしたら、日本の国技として繁栄していってほしい相撲界で、不祥事が起こったり、母国を離れての覚悟が違う外国人力士が上位を占めたりする現状は、当然なのかもしれない。
最大の問題は、力士自身と相撲協会、更には日本社会がこのような状況を異常だとか問題があると認識しておらず、力士の弱さのせいで修行が足りないとか力不足だと思い込んでいるところだろう。
最後に参考までに、上記のような大相撲の課題を指摘した記事を引用しておく。
引用、参考
「『大相撲戦後70年史』で北の湖理事長はこのように語っている。
「人間は楽な方に流れてしまいがちですが、休んでも番付が下がらないとなれば、どうしても休みたくなる。それが甘さにつながって、厳しさが失われてしまうおそれがあります。これでは、その力士のためになりません。 なかには公傷制度がないために苦労をすることになる者もいますが、勝負の世界ですよ。公傷がないからこそ、ケガをしないように体を鍛える意識を高めてほしい。そう私は考えています」Number Web 2018/05/08 大相撲PRESS「力士と怪我の切っても切れない関係。慢性化する前に完治させる制度を!」
https://number.bunshun.jp/articles/-/830678
「相撲 興行場所、日数の歴史」 http://www.e-shiki.jp/kougyorekishi.htm
「「地方巡業」の増加で、力士が壊れてしまうかもしれない」ITmedia ビジネスオンライン 2017/9/15
https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1709/15/news029.html