50代でカナダから日本に出戻りリターン永住

文・広瀬直子

 3年ぐらい前、諸事情が重なって20代から四半世紀暮らしたカナダのトロントから、日本の京都にリターン永住をすることになった。

生まれ育った国、町だし、カナダに住んでいたときも年に一度は一時帰国していたから、日本に戻って住んでも逆カルチャーショックはあんまりないだろう、と思っていた。

長年海外に住んで日本に戻った人が、「浦島太郎(女性は花子?)」みたいに逆カルチャーショックを経験するとは、よく言われてきたことだが、それは前世紀の話。21世紀の今、カナダに住んでいてもネットで日本語の新聞雑誌を読んでいるしテレビも見ていた。有名人の名前だって知っているし、大丈夫なはずだった。

しかし、日本語能力がやっぱり衰えていた。

確かに、日本に再永住し始めてすぐは外国に遊びにきているような気分もあり、さほどの違和感はなかった。が、徐々に「これはわからないぞ」と思うことが出てきたり、職業が翻訳者だから私の日本語は劣えてないはずだ、と信じていたのが思い込みだったことがわかってきた。

デパ地下で買い物するときレジ係の言う「コワケブクロ(小分け袋)入れますか?」とか、スーパーの肉売り場で牛肉を買う時の「ギュウシ(牛脂)いりますか?」などが聞き取れなかった。

「ミトメイン(認印)でいいですよ」の意味も最初わからなかった。日本はやはりまだハンコ社会だった。「あ、ごめんなさい?」と聞き返し、「すみません、海外が長かったので」とテヘヘ笑いをする。

コンビニの呼び方が「セブン」だとか「ファミマ」だとか言うことも覚えた。若い人が何でも略すというのは本当だとわかった。大学で私が担当している科目である「イングリッシュ・カルチャー」は「インカル」、「アナリティカル・リーディング」は「アナリ」と学生に呼ばれていた。「KY(空気読めない)」が若者言葉だと思っていたら、これはもう古いということを最近学生に教えてもらった。

コロナ禍の日本の大学では、オンラインと対面をミックスした「ハイブリッド授業」が増えてきている。

帰国して3年近く経つ今でも、「バイク」と言われると自転車のことかと最初思い、エンジンのついた「モーターバイク」のことだと理解するのに時間がかかる。

さらには、大学や政府機関から送られてくる書類からは新しい(か忘れていた)表現を学ぶこともあって、「周知徹底」とか「適正性確保」だとか、カナダ在住時代には使わなかったようなボキャブラリーが増えた。

ところで、日本の中央政府と自治体から発行されている書類への記入が要求される時の、あの書きづらさは何なんだろう、と今でも思う。私は日本語のネイティブスピーカーで、英語は第二言語だけれど、自治体などが記入を求める書類はカナダ在住時の英語の方が断然わかりやすくて書きやすかった。英語のネイティブスピーカーでなくても、大卒でなくても理解して記入できるような「フレンドリー」な英語だったからだ。

しかしまあ、そういう書類の記入にもそれなりに慣れてきて「私は日本に帰ってやっぱり日本語がうまくなったなあ」などとめでたくも思っていたら、帰国後1年経って、世界はコロナ禍に見舞われ、今を生きる人、全ての生活が変わった。私もここしばらく、これといった社会生活をしていないので、日本に戻って逆カルチャーショックを経験しているのかどうかさえ、わからなくなった。そしてこの年齢になると少々のことでは動揺しなくなるせいか、大きな心境の変化はない、というのが結論。カナダも日本も先進国なので、毎日の生活に不満はない。

ただ気になるのは、日本のトップに化石みたいなオヤジ感覚の人が多いこと。カナダのトルドー首相がとっても輝いて、爽やかに見え始めた。

小さなことかもしれないが、日本語力の向上以外に加え、日本に帰って私に起こった変化のもうひとつは、若者の味方になったことだ。カナダに住んでいた頃は、日本の大学生など海のものとも山のものともわからなかったが、今は教えているので、かなりわかる。

少子高齢化の日本で、彼らはとっても貴重な存在なのに、なぜ日本の報道機関はもっと、若者の未来について取り上げないのかがわからない。

そして、日本ではいまだ「化石」がトップにいて、影響力が絶大なようだ。そんなオヤジの影響下にある日本の若者に、「ウエ」の人に過度に忖度せんと、必要以上の上下関係に振り回されず、自分を信じて活躍しーや、と強く願っている。

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