ルールを守らない奴ら

文・嘉納もも・ポドルスキー

2022年2月、北京で冬季オリンピックが開催された。私は四年に一度のこの祭典が訪れると必ずそうするように、二週間の間、ほぼ四六時中テレビの前に陣取って過ごした。

今大会には私が熱烈応援中のフィギュアスケート日本代表、三浦璃来&木原龍一ペアが出場していたのでなおさら力が入った。この二人は2019年8月より私の住むオンタリオ州のオークビル市にあるリンクを練習拠点としているため、個人的な付き合いがあるのだ。

フィギュアスケートは従来、個人競技であるが、2014年のソチ・オリンピックから団体戦が競技リストに加わった。国別に男子・女子・ペア・アイスダンスの四種目で争われ、総合的に強い選手を揃えたチームが優勝する、という仕組みになっている。

日本はかなり昔から男子や女子のシングル種目で強い選手がいたが、カップル競技と言われるペアとアイスダンスではなかなか世界のトップレベルのチームと競うことが出来なかった。そのため「フィギュアスケート大国」と言われるカナダ、アメリカ、ロシアなどに割入って団体戦のメダルを目指せなかったのである。ところが数年前から三浦&木原ペアが台頭してきたおかげで、初めて北京オリンピックで念願のメダル獲得が現実的になった。

本記事の主旨から逸れるので詳細は省くが、結果的には「りくりゅう」(三浦&木原ペアのニックネーム)の活躍もあって見事、日本が銅メダルを獲得するにいたった。順位が確定した時には、リビングで一人(夫はフィギュアスケートにほとんど興味がない)テレビを見ていた私は大喜びをした。

(メダル確定後の日本代表チーム。三浦璃来選手・木原龍一選手は最上段の右端二人。)

ところが、である。

さあ、これからいよいよ正式なメダルセレモニーが行われるという段になって、金メダルを獲ったロシアチームの一員が過去のドーピング検査に問題あり、というニュースが飛び込んで来た。しかも北京オリンピックでは個人戦の優勝間違いなし、と目されていた15才の天才少女、カミラ・ワリエワ選手が違反したのだというから皆が仰天した。

さらに驚くべきは、ロシア側のその後の弁明である。とてもではないが信じがたい言い訳を並べ立ててワリエワ選手の潔白を主張し、その甲斐あって彼女に対する制裁は保留、個人戦にも出場することが許された。

ちなみに私はスポーツ界におけるドーピング問題についてけっこう詳しいと自負している。

1988年のソウル・オリンピックでカナダのスプリンター、ベン・ジョンソンが100メートル走で優勝した直後にドーピング違反でメダルを剥奪されて以来、ただならぬ関心を持ってこのテーマについて調べて来ているのだ。その知識を元にして見解を述べさせてもらうなら、ワリエワ選手の薬物使用は(彼女の、あるいは彼女を取り巻く人々の責任であるかはさておき)ほぼ間違いなく「故意」である。

何はともあれ、この事件によってロシアの団体戦金メダルが確定できなくなったため、暫定2位のアメリカ、3位の日本、そして4位になったカナダの選手たちが割を食った。メダルセレモニーは無期延期、一生に一度となるかも知れないオリンピックのメダルを授与することなく、りくりゅうを含む選手たちは帰路に就くことになったのである。

この様な後味の悪い展開で、ただでさえモヤモヤする感情を抱えていたところに、この度のロシアによるウクライナ侵攻である。飛躍が過ぎると思われるかも知れないが、私にはこの二つの出来事に共通項があるように思えるのだ。

要は「ルールを守らない奴ら」がいるため、「ルールを守る者」が害を被る、という理不尽である。

私たちは二年前の2020年が明けて早々、コロナウイルス・パンデミックという未曽有の災難に見舞われた。それからの日々、世界中の人々が度合いや方法の違いこそあれ、何とかウイルスに抵抗してサバイバルを心がけて来た。ようやく終焉に漕ぎつけたかのように思えるが、その過程で「ルールを守る人・守らない人」の間に深い溝があることを再認識したと言える。

もちろん、何でもかんでも誰か(特に権力者や政治家たち)が決めたルールを疑問を持つことなく、守るのが良いとは思わない。だが国際法であろうが、反ドーピング規則であろうが、パンデミック下の公衆衛生のルールであろうが、ある程度のコンセンサスを得て皆で守った方が良いという結論に達した場合、自分だけがその規則には捉われる必要はないのだ、と勝手な振る舞いをする人たちがいるとその他の皆が迷惑をする。

ルール違反者に制裁が加えられる場合はまだ良い。だが妙ちくりんな屁理屈をこねたり、逆切れして居直ったりする違反者に、ルールの順守を求める側は成す術がない場合が意外に多い。こうなるとより一層、多少の窮屈を我慢しつつもルールを守っている者は無力感を覚えるのである。

そんなことを悶々と考えながら、夫が父親の祖国であるウクライナの国旗を窓に掲げるのを手伝った私である。