「ドラえもんへのリクエスト」
文・嘉納もも・ポドルスキー
昨年の2月、コロナ・パンデミックの真っ最中に意を決して日本に向かった。本来ならばそのような大掛かりな移動は避けたい世界状況だったが、当時一人暮らしをしていた母が体調を崩し、あまりにも切羽詰まっていたので助けに行くことにしたのだ。
結局その時は予定よりも大幅に滞在を延長し、三カ月余りを費やして色々と用事をこなした。最終的に母に施設に入居してもらい、私はカナダに戻った。
それからカナダも日本もロックダウンを繰り返し、母に再び会いに行けないまま14カ月が経った。ようやく7月の初めに日本に来て、神戸の実家の台所でこの記事を書いている。
母が11年前に大病を患ってからというもの、私は毎年二度ないし三度、カナダと日本を往復していた。すっかり生活のペースに組み込まれていたので、20時間以上のフライトであっても「ちょっと行ってくる」という感覚で比較的、気軽にこなしていた旅であった。
ところがコロナ騒ぎを機に様々な渡航規制が課されるようになると、一気に物理的な距離に心理的なストレスが加わり、同じ旅程でも億劫に感じられるのだから不思議だ。
昨年と比べて手続きが大幅に簡略化されたとはいえ、未だに海外からの入国者にはワクチン接種の有無を問わずPCR検査を課している日本である。それもストレスになるが、今回の帰省にかなり覚悟を要したのには他にも原因がある。
カナダの我が家には今年で14才になる老犬がいる。長男が高校生の時、お友達のお祖父さんの農家で7匹の子犬が生まれ、その一匹をもらって来た。以来、ずっと家族の一員として一緒に過ごして来た大事なワンちゃんが、今年の春先に体調を崩して一時は命が危ぶまれた。6月に日本に帰る予定をいったん見合わせたのはそのせいである。
「犬と母親とどっちが大事なのか」と聞かれると非常に困るのだが、とにかく両方の具合を見図りつつ、ようやく7月に二週間だけ日本に行こうと決断したのである。
もちろん、日本に来れば母は大いに喜んでくれる。施設から家に連れて帰り、上げ膳据え膳で三食を提供するのはもちろんのこと、お友達を招きたいと言えばしっかりもてなすのも親孝行の一環である。滞在期間中ほぼ24時間べったりと世話をするのは大変だが、「たまにしか帰れないのだから」と思えば気合で乗り越えられる。
だが逆に言えば、私が海外に住んでさえいなければ、お互いがもっと気楽なやり方でのサポートが可能になるはずなのだ。一人暮らしを続ける手助けをするのは難しかったかも知れないが、ようやく施設に入る決心をしてくれた母を頻繁に訪問することはできるはずだ。そして例えば月に一度、家に帰らせてあげられることもできるだろう。
現にカナダでは90才を超える義母も施設に入っているが、同じ町に住む義姉や義妹たちが交代で週に二度は会いに行って様子をこまめに見ている。私も同じようなことができたらどんなに良いだろう、としょっちゅう思う。
もちろん、カナダのように東西で3時間以上もの時差がある巨大な国土であれば、お互い国内に住んでいてもなかなかおいそれと会いに行けない親子はいる。だがやはり「国境」があるとないとでは大きな違いだ。我々はこの度のパンデミックでそれを嫌というほど思い知らされたのではないだろうか。
まさかのタイミングで世界中が疫病に見舞われたり、戦争が起こったりして、それまで当然のように開放されていた国々の門戸がいきなり、閉ざされる。すると(多少の費用は要するとはいえ)基本的にはパスポートとフライトの予約さえあれば会いに行けていた家族や友人たちから切り離されてしまうのだ。
35年前にカナダ人と結婚した私も、当時は喜んで送り出してくれた父や母も、国際結婚のもたらすそのような悲哀を想像していなかった気がする。私の周りで国際結婚をした人たちもきっと考えていなかったシナリオに違いない。
「ドラえもんのポケットから何かもらえるとしたら、リクエストするものは?」という問いかけをよく目にするが、私なら迷わず「どこでもドア」と答えるだろう。親が介護を要する年になると、より一層その思いは切実になる。