家族の歴史を知る・伝える

文・嘉納もも・ポドルスキー

現在、二人の共訳者(日部八重子さん、峰松愛子さん)とともに、 Third Culture Kids 3rd Edition: Growing Up Among Worlds という本の翻訳に取り組んでいる。タイトルにあるThird Culture Kids (以下TCK)については過去にこのサイトで私が記事を上げているが、日本の「帰国子女」同様、親の仕事の関係で長期間、親の祖国以外の国で育った子どもたちのことである。

実は2010年にも峰松さんと一緒に同じ著書の翻訳を出しているのだが、この度、原著が第三版まで改訂されているということで、日本語版もアップデートすることになったのである。

二年に渡る翻訳作業を経て、ようやくゲラ校正の段階にまで辿りついた。そしてすべてが上手く進めば、今年の6月頃に出版の予定である。

その販売促進も兼ねて、訳者三人でインスタグラムのアカウントを開設し、一人ずつ、持ち回りで投稿をすることになった。先週は私の担当で、どのような内容をアップしようかと考えたところ、イギリスとフランスで過ごした幼少期から始めて、日本での学生時代、そしてカナダ留学に至るまでの自分の歴史を振り返ってみた。

これらの投稿に思いがけない反響があり、何人かの方々からコメントを頂いた。やはり小さい頃に異文化の中で育った経験は大きな影響を及ぼすものなのだな、と改めて考えさせられた。

なお、一連のインスタグラムの投稿は私の母や兄、そして息子たちにも興味を持ってもらえたようだった。私がインスタグラムに上げた昔の写真をきっかけに(ラインでの)話が弾み、兄からは別の写真が送られてきた。長男は母親の小学生時代の姿を面白がり、他のものも見せてほしいと言ってきた。

家族の歴史を振り返る、という作業はやはり心に響くものなのである。

ところで寄せられたコメントの中には、私がフランス語と英語、そして日本語の三つの言語が操れるようになった経緯について聞きたい、というものがあった。フランス語は幼稚園から高校まで現地校に通ったために身に着いた、英語は11才の頃からビートルズのファンになったおかげで猛勉強して得意科目になった、そして日本語は家庭での主言語だったので母語として保持できた、と説明した。

ついでに言えば、大学院の留学先を決める時にフランスではなくカナダを選んだのは、私の学びたいエスニック・スタディーズがトロント大学で盛んであったこともあるが、英語圏に住んで英語を完璧にマスターしたい、という思いも強く影響したのである。

そこでふと思い出したのだが、私の父方の家系は祖父の代から外国語に対する関心が非常に強かった。もしかすると、私もその傾向を受け継いでいるのかも知れない。

祖父は船会社に勤めており、戦前から外国航路に憧れて英語を勉強していたと聞く。私たちのフランスの家に遊びに来た時、祖父はすでに80才を超えていたが、なかなか達者な英語を駆使していた。そして私が幾つかのフランス語のセンテンスと日本語の対訳を紙に書いたものを持って、一人で果敢に街を散策に出かけていたのも思い出す。

私の父は17才で終戦を迎えている。その後、大学で英語を勉強したのはもちろんのこと、合唱にも打ち込んでいたためドイツ語やロシア語の歌曲を翻訳できるほどに独学したそうだ。

駐在でフランスに渡航した時、父は37才だった。それまで全くフランス語に触れる機会がなかったはずなのに、やがて現地のスタッフと流ちょうに会話ができるようになり、ビジネスの場でも堂々とフランス語でユーモア交じりのスピーチをしていた姿が思い出される。今から考えればよくそんなことが出来たものだ、と感心して、「親バカ」ならぬ「子バカ」になっている自分がいる。

そんな父は64才の誕生日を目前にして亡くなっているのだが、私自身がその年齢に近づくにつれ、距離を置いて過去の出来事を見る視点が備わって来たように感じる。そうなると、今までとは別の角度から自分の親や祖父母たちの人生を見つめ直したくなり、そしてそれらを息子たちに伝えたくもなるのだ。

自分の家族の歴史を知る、ということは、自分を知ることにも繋がる。古いアルバムを引っ張り出して来て、色あせた写真を今のうちにデジタル化しておかないと、と考えている私である。

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。